****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

「隠遁への召し」があることを知ること

58. 「隠遁への召し」があることを知ること


  • マリア福音姉妹会のマザーであり、現代の女性預言者とも言われているバシリア・シュリンク女史は、自叙伝『キリストの花嫁』の中で「隠遁への召命」について、次のように述べています。
  • 「主は、私を隠遁、静穏、孤独の中へと導かれたのである。典型的に社交的な、活動的で創造的なこの私を、である。・・・・私を隠遁の生活へ召されることによって、主は私の性質とはほど遠い生活へとお召しになったのである。けれども、この生活の道は、私たちの将来の仕事の礎石ともなるべきものであり、私が夢にさえ見たこともないほど、はるかに広大な仕事となった。私は、神の国のためのすべての大いなる使命は、主の前に一人でいる時のみ与えられるという聖書的真理を、良く聞いたことがあった。聖書の中の実例も、孤独と隠遁は新しい聖い生活と、主のための実りある仕事の誕生の場であることを示している。もし主が、しばらくの間私たちが退いて主に聞き、主と語るためにお召しになるならば、私たちの神の国のための仕事は特に効果があることを知った。けれどもこの知識は、私には理論的なものにとどまっていた。
  • ・・・・・隠遁への召命は、寂しさ、試練、誘惑、その他、霊において、イエスと共にさまざまな苦難を味わうというだけではなかった。日ごとに私は、人々から離れて生きる特権や、イエスと最も深い交わりの時を過す特権や、絶えずイエスに完全にひれ伏し、彼にのみ仕える特権に気が付くようになった。イエスのみこころに近づく以上に尊い経験があるだろうか。主の愛は限りなく、主を愛する者に優しく、憐れみ深い。『わたしを愛する者を、わたしは愛する』(箴言8章17節)と神のみことばの中に記されているとおりである。・・・隠遁のたびに、多くの祝福とご委託を与えられたが、完全な愛と苦難に満ちたイエスの心の、内なる思いにあずかる特権に比べうるものは何もない。主に愛され、主を愛する、これに勝るものはない。イエスと一つになることは、私たちの仕事であり、マリア姉妹会の霊的いのちを決定づけるものである。イエスがヨハネの15章で言われる、彼のうちにとどまることが、すべての活動の源であり、神の国における成長である。その意義は永遠に存続する。すべての、永遠に変わることのない、聖いいのちの泉である神と一つになることだからである。」
  • 詩篇の作者たちも、隠遁への召しを経験し、神のふところ深くに入るという経験をしています。隠遁、それは神のうちにあるシークレット・プレイス(The secret place)、だれも知らない神との秘密の場所、親しい愛の交わりの経験です。しかしそうした経験、領域を知り、それを自ら望んだとしても得られものではありません。神の召しが必要です。しかもその召しは私たちの思いをはるかに超えて導かれるようです。詩91篇はシークレット・プレイスの世界です。

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