「私の心の愛するもの」「私のぶどう畑」
エレミヤ書の目次
15. 「私の心の愛するもの」「私のぶどう畑」
【聖書箇所】 12章1節~17節
ベレーシート
- 12章は11章から続いています。自分に対する同郷の人々の暗殺計画を知ったエレミヤは神に問いかけます(1~4節)。どこまでも神が正しい方であることは承知していても、「なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのか」という疑問がエレミヤの心にあり、そのことを神に尋ねています。こうした問いかけは詩篇にも見られます。詩篇7篇、49篇、73篇等がそうです。特に詩73篇では、作者が悪人が栄えることに対しての妬みが起こり、わきまえを失い、獣のようになったことが記されています。
- いずれにしても、問いかけるエレミヤに対する神の応答が記されていますが、答えというよりも、問う者をさらなる問いへと投げ込むような答えです。
【新改訳改訂第3版】エレミヤ書 12章5 節
あなたは徒歩の人たちと走っても疲れるのに、どうして騎馬の人と競走できよう。あなたは平穏な地で安心して過ごしているのに、どうしてヨルダンの密林で過ごせよう。
【リビング・バイブル】
神様は私に、こう答えました。 もしおまえが、このアナトテの住民のような、ただの人間と競走して息を切らせるとしたら、どうして、馬や王、その家来、悪い祭司を相手に競争できるだろうか。 平地でつまずき、倒れるとしたら、ヨルダンの密林では、どうなるのか。
- ここにはさらなる苦難が待ち受けていることを神は語っています。自分の兄弟さえも信じてはならないという厳しいことばです。ということは、逆に、エレミヤにさらなる使命の重さを問いかけ、同時に、その耐えがたき重荷を神も負ってくださるということを確約しているとも言えます。なぜなら、すでに神はエレミヤを召し出す時に、次のように述べているからです。
新改訳改訂第3版 エレミヤ1章18節、19節
18 見よ。わたしはきょう、あなたを、全国に、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、この国の人々に対して、城壁のある町、鉄の柱、青銅の城壁とした。19 だから、彼らがあなたと戦っても、あなたには勝てない。わたしがあなたとともにいて、──【主】の御告げ──あなたを救い出すからだ。
1. 「私の心の愛するもの」「私のぶどう畑」
- さて、11章でも触れましたが、12章でも神はユダの人々に対する懲罰的リセットのために、「敵の手中に渡した」(7節)としながらも、彼らを「私の心の愛するもの」と呼んでいるということです。さらに10節では、「私のぶどう畑」と呼んでいるということです。すでにエレミヤ書2章21節でも次のように語られていました。
【新改訳改訂第3版】エレミヤ 2章21節
わたしは、あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに、どうしてあなたは、わたしにとって、質の悪い雑種のぶどうに変わったのか。
- 「私の心の愛するもの」は、正確には「わたしの魂(ネフェシュ)の愛する者」です。11章15節では「わたしの愛する者」という表現でした。「私のぶどう畑」にあるぶどうも「ことごとく純良種の良いぶどう」として植えられたものでした。「心の愛する者」を敵中に渡し、「ぶどう畑」が敵に荒らされるにしても、それは神にとって痛みがあるはずです。この痛みを私たちも感じる必要があります。
2. 諸国民に対する神の扱い
- 12章14~17節の中に、諸国民に対する神の計らいを示すことがあるのは注目すべきことです。特に、16節の約束です。
新改訳改訂第3版
・・・もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって、『【主】は生きておられる』と誓うなら、彼らは、わたしの民のうちに建てられよう。
- 神はご自分の民であるイスラエルだけでなく、諸国民に対して「わたしの民のうちに建て上げよう」と語っていることです。すでにここに「接ぎ木思想」が発出されているように思います。なぜなら、アブラハムよって地上の諸民族が祝福を受けるという神の約束は必ず実現するからです。「接ぎ木される」か、「根こぎにされてしまう」かは、ユダヤの民とどうかかわるかによって決定されるのです。
2013.2.9
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