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「禁止の命令=否定辞(''μη'')+接続法・アオリスト」の例

(3) 「禁止の命令=否定辞(μη)+接続法・アオリスト」の例


はじめに

  • インターリニアで、否定辞のあとに動詞・接続法・アオリスト・能動態という表示がある場合、これは「命令法」と同様、「禁止の命令」のように訳されます。
  • その例として、以下のマタイの福音書10章34節とヨハネの福音書3章7節の二箇所を取り上げたいと思います。

1. マタイの福音書10章34節

「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもらすために来のではなく、剣をもたらすために来たのです。」(新改訳)

  • 「思ってはなりません」と訳されている部分が、Μὴ νομίσητε 否定辞+接続法・アオリスト・能動態・二人称・複数で命令の表現となります。多くの人々は、神がいるならなぜ戦争がこの世界にあるのか、神がいるならなぜこんな問題や不幸が起きるのかなど、私たちの基準に合われて神のことを考えてしまっていることが多いのです。そうした背後にこの世の神が支配して覆っていることを知らずにいるからです。イエスはここで私たちを覆っている敵の支配から私たちを救い出すために来られたことを教えようとしています。敵の支配から救い出すのわけですから、当然、戦いは余儀なくされます。ですから、イエスは「わたしは、平和をもらすためではなく、剣をもたらすめに来たのです」と述べたのです。
  • イエスが来られた時、多くの人々は自分たちを支配している異邦人の支配から救い出して、平和を実現してくれるメシアを期待していました。確かに、平和をもたらすためには敵との戦いに完全に勝利し、私たちを敵の支配から救うことによってなのですが、当の敵が霊的な存在であることを知らずにいるのです。このように、イエスは私たちの考えをまず矯正しようとして、「地に平和をもたらすためだと思ってはなりません」と命じられました。このことを私たちは正しく受け留めなければなりません。
  • 「思ってはならない」は、アオリスト・能動形の否定です。アオリスト時制が使われているのは、はっきりと自分の考え方を意識的に変えるようにと命じているのです。ということは、裏を返すならば、絶えず支配しているこの世の神(サタン)が私たちの思いや考え、また、さまざまな状況を作り出しています。そのような敵がいることを絶えず「思いなさい」(意識的に自覚しなさい)と命じられているのです。
  • 10:36には「家族の者がその人の敵となります」とさえイエスは勝語っています。つまり、家族の中にも敵が支配しているという事実です。このイエスの教えを受け入れるのでなければ、私たちが神につまずくことは時間の問題です。私たちの善悪や基準や常識を越えて、神が遣わされたイエスの言われるように考えるということをしなければならないのです。イエスは私たちにそうした考え方の明確な決断をここで求めておられるのです。

2. ヨハネの福音書3章7節

「あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言っことを不思議に思ってはなりません。」

  • 「不思議に思ってはなりません」μὴ θαυμάσῃς という部分が、否定辞+接続法・アオリスト・能動態・二人称・単数です。イエスを訪ねてきた律法学者のニコデモに対して語られた個人的な命令ですが、それは私たち一人ひとりに対しても命じられているのです。
  • ちなみに、マタイ10:31の「思う」はギリシャ語の「ノミゾー」νομίζωで、習慣的・慣例的に「思う、考える、みなす」という意味であるのに対し、ヨハネ3:7の「思う」は、「サウマゾー」θαυμάζωは「不思議に思う、疑問に思う」ことを意味します。
  • イエスの言う「新しく生まれる」ということは、「上から生まれる」ということであり、神に霊的な誕生を意味しています。これはことばではうまく表わすことができませんが、風が吹けば木の葉がゆれて、目には見ることのできない風が吹いたことが分かります。そのように霊による誕生はそれがどのようにしてなされるのか分からなくても、事実として知ることのできる事柄なのです。ですから、不思議に思って、自分の理性の枠(型紙)で考えて判断してはならないことを肝に命じるように語られたのです。

2011.10.10


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