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「承認欲求過剰社会」に抗する「三つの道しるべ」

「承認欲求過剰社会」に抗する「三つの道しるべ」


  • 斎藤孝氏の『折れない心の作り方』(文藝春秋、2008)を図書館から借りて読みました。斎藤氏は現代社会を的確なキャッチ・フレーズで表わすことに長けています。彼の著書「退屈力」(文藝春秋、文春新書、2008)にある「高度刺激社会」、そして『折れない心の作り方』にある「承認欲求過剰社会」ということばがそうです。
  • 斎藤孝氏は『折れない心の作り方』の本の中で、
    ちょっとした一言で、子どもや若者の心が傷つき、自信を喪失し、やる気をなくして投げやりになる時代、まさに心が折れやすくなっている現実に対して、自分の中に正しい自己肯定となるための「三つの道しるべ」を提唱しています。
  • ところで、彼の言う「承認欲求過剰社会」とはどういう意味なのか。
    彼によれば、頻繁にやりとりされる携帯メールやブログなどに自分の日常を描くのは、他者からの承認を渇望する欲求の表われであり、誰かがコメントしてくれることで、自分が承認されているという充足感を得ようとしているからだと述べています。
    自分が承認してもらいたから、他人を承認する。
    そのために、お互いにソフトな言葉で慰め合ったり、浅くゆるく励まし合ったりすることで、わずかな安堵感を得る。
    つまり、そこには「存在の承認互助会」のような関係が成立している。どうしたら相手に自分の存在を承認してもらえるか、そればかりを求め合う関係としての「承認欲求過剰社会」。
  • こうした傾向は今や世の中全体にあって、ゆるやかな励まし全盛の時代となっている。すべてが「ソフトに」、「優しく」の方向に流れていて、友だち関係も、基本的に励まし合い、癒し合いばかりで、いろいろなことを何でも話すが、深い所には決して立ち入らない。自分も人から「へえ、そうなんだ、大変だね。頑張って。」と優しく背中を押されると、それだけで自分が肯定された気がして安心している。厳しいことや攻撃的なことを言う人、あるいは嫌な人はすぐに関係を切ることができる。そんな関係性が前提となっている「励まし社会」だと述べています。
  • 斎藤氏はこのような「承認欲求過剰社会」の「なでるような関係」は果たして幸せなのだろうかと問いかけながら、そのような関係はむしろ不安を助長するだけだと警鐘を鳴らしています。
  • 斎藤氏は、自分の中に正しい自己肯定となるための三つの道しるべを提唱しています。それは

1. 「縁」を大事にする
2. 人と深く交わる
3. アイデンテイティの根を張る
としています。しかし私自身はキリスト者の立場から見る時、「三つの道しるべ」を次のように言い換えることができると考えます。

1. 神の導きとしての「出会い」を大切にする
2. 自分と信仰を共有できる人と親しく交わる
3. キリストにあるアイデンティティを確立する
ーこれはキリストとのかかわりなしには確立できないものであり、キリストにあって、自分はどのような者とされているか、神が自分をどのように見、承認して下さっているかという自己認識に基づくアイデンティティです。ー

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