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「御国が来ますように」

第3日 「御国が来ますように」

1. 「御国」とは

  • イェシュアが30年の沈黙を破って公の生涯へと入られた時、その第一声は、「悔い改めなさい。天の御国は近づいた」(マタイ4:17)でした。マルコの福音書では「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(1:15)。また、 「神の国とその義を第一に求めなさい。」(マタイ6:33)とも。
  • 「天の御国」「神の国」「御国」・・日本語では異なった訳をしていますが、原語のギリシア語も英語もひとつの言葉で表わされます。それはギリシア語では「ヘー・バシレイア」( ἡ βασιλεία)、英語では「ユア・キングダム」(Your kingdom)という言葉です。「バシレイア」、「キングダム」は「王国・統治・支配」という意味です。つまり、聖書の言う「御国」というのは「神が支配する王国」のことです。
  • イェシュアのメッセージは一貫して「御国」でした。イエスは多くのたとえ話を話されました。それは金太郎飴のようにどこを切ってもすべて「御国」に関するものでした。御国(神の国、天の御国、神の王国、天国)とはどんなところか。それはどのようにしてもたらされ、また拡大し完成されるのか。この御国に招かれる人々に求められるものは何か。どうすれば御国に入ることができるのかについて語られました。
  • 御国の教えが単なるひとつのイデオロギーではなく、またひとつのユートピアでもなく、現実の世界であることをあかしするために、イェシュアは数多くの奇蹟をなされたのでした。しかも、神が王として支配する国は、神のあわれみと恵み、神の愛と平和が豊かに支配する国です。そうした神の支配の中に生きることができるようにと、イェシュアは「御国を来らせてください」と祈るように弟子たちに教えられました。

2. 「天の御国は近づいた」とは

  • イェシュアの言われた「天の御国(Kingdom)は近づいた」とはどういう意味かを正しく理解する必要があります。神による御国の建設のシナリオでいうならば、イェシュアの到来とともにその神の支配は「すでに」始まっています。しかしその完成は「いまだ」未完成なのです。イェシュア・ハマシ到来とともに御国の最終段階がはじまったという宣言―それが「天の御国は近づいた」という意味です。聖書はこの最終段階のことを「終わりの時代」と言っています。私たちは今、神の国の建設のシナリオによれば、「終わりの時代」に生きていることになります。このことを私たちはよく理解する必要があります
  • この「終わりの時代」の到来について、旧約の預言者たちは語っていました。しかしそのプロセスーつまり実現のプロセスーについては、「奥義」として旧約の預言者たちには隠れされていたのです。「すでに」と「いまだ」というこの緊張関係。ユダヤ人にとってはこのことがなかなか理解出来ない事柄でした。TVで番組でたとえるなら、臨時の特別番組が入ってきてそれまでの通常の番組が中断されているかたちと言えます。私たちは今、特別番組―福音が異邦人に伝えられるというニュース―の中に置かれているのです。旧約で神が約束されたことは、いまだ完成されていません。それゆえ、御国の完成のために「御国が来ますように」と祈る必要があるのです。どこに?  地上にです。

3. 「御国が来ますように」の嘆願が意味すること

  • この世には多くの国々が存在しますが、霊的な世界においては二つの対立する国が存在します。ひつとは「神の王国」であり、もうひとつは「サタンの王国」です。人間がサタンの語る言葉を自らの意志で聞き従ったがゆえに、サタンは合法的に人間とその人間にゆだねられた世界を支配する権利を得ました。強制でも、強引でもなく、合法的に、です。
  • 聖書はサタンを「この世の神」(コリント第二、4:4)、「この世を支配する者」(ヨハネ14:30)、「偽りの父」(ヨハネ8:44)、「主権、力、この暗闇の世界の支配者たち」(エペソ6:12)と呼んでいます。それゆえ、「全世界は悪い者の支配下」(ヨハネ第一5:19)にあり、「不信者の思いをくらませ」るために、「この世の神がおおいを掛け、福音の光を輝かせないようにしている。」(コリント第二、4:4)と述べています。
  • そうした「この世の神」が支配する世界に、イェシュアは父から遣わされて、真理をあかしし、福音を宣べ伝えられて、信じる者を「御国」(神の支配)へと招いてくださった、いや、今も招いてくださっています。御国の支配は聖なる支配であり、この世のものとは全く異なる神の統治される世界です。その統治は恵みとまことに満ちたものであり、義と平和、愛と公正に満ちています。
  • 「御国に入る」(神の国に入る)ことは「救い」と同義です。また、「神の子とされる」こと、「永遠のいのちを得る」こと、「神に近づく」こと、「生ける希望を持つ」こともそれと同義です。私たちはイェシュアを通して入って来た臨時特別番組のニュース(福音)を、時が良くても悪くても、できるだけ多くの人々に宣べ伝え、やがて御国が完成する前に、福音を聞く者たちが御国に入ることを願わなければなりません。このように、「御国が来ますように」とは、大きな責任を秘めた祈りでもあるのです。

フルダ・K・伊藤師は「神の国」について次のように説明しています。

「イエス・キリストによって地上にもたらされた神の御旨が実現される国。神とキリストの敵であるサタンが、誘惑する者を探してこの地上を彷徨(ほうこう)している間は、「神の国」は完成されず、ただイエス・キリストを受け入れた者たちが集まり、彼らを通して神の業が行なわれていくとき、そこに局所的に「神の国」が顕れることになる。キリストを受け入れた者たちはすでに信仰によって「神の国」に霊的に入ったのであるが、地上のすべての人たちに理解されるわけではない。しかし、「神の国にはいる」ということは信者の間の単なる心象現象ではなく、やがて完成されることになる「神の国」を今、この地上にあっても経験していくことのできる現実の現象である。「神の国」の完成は、キリストの再臨によって地上に千年間のキリストの支配が実現するとき成就し、そのとき初めて地上のすべての者の目に明らかな現象となる。」



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