****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

「彼ら(レカブ人)に酒を飲ませよ」

文字サイズ:

39. 「彼ら(レカブ人)に酒を飲ませよ」

【聖書箇所】 35章1節~19節

ベレーシート 

  • 35章と36章は、エホヤキムの時代にあった出来事がまとめられています。神はこれまでも預言者エレミヤに対して一つの象徴的行動(行為)を命じることによって、あるメッセージを啓示しようとしています。35章では、レカブ人に対して「酒を飲ませよ」という命令を出して、彼らがその主の命令に対してどう応じるか、それがユダとエルサレムに対する神のメッセージとなっています。つまり、ユダの人々の神への不誠実とレカブ人の先祖に対する誠実が対比されているのです。

1.  レカブ人とは何者か

  • レカブ人についての言及は、民数記10章29節、士師記1章16節、Ⅰサムエル記15章6節にあります。彼らはケニ人とのつながっています。ケニ人はモーセの舅の子であり、いわばモーセの従兄弟です。彼らはユダ族と共にカナンに入国しながらも、カナンの宗教に染まることなく、ユダの荒野で独自の共同体を形成していました。そのケニ人の系譜の中にレカブの子ヨナダブという人物が現われます(Ⅱ列王記10章15節以下参照)。彼はオムリ王朝打倒のために、エフーの軍勢に加わった人物です。このヨナダブの行動に端を発し、これを受け継ぐ少数の人々が「レカブ人」と呼ばれるようになりました。
  • レカブ人はカナンの地に住みながら、決してカナンの文化に染まらない独自の生活様式を保ちました。特に、カナンの土地の代表産物であるぶどう酒を飲まず、不動産を持たず、天幕に住んで、彼らの先祖ヨナダブの教えにひたすら従順な生活を送ってたようです(エレミヤ35:8~10)。そうした彼らに神はエレミヤに対して、「彼らに酒を飲ませよ」と命じたのです。これに対して、レカブ人は拒絶したのは言うまでもあません。というのも、レカブ人の一族全体がヨナダブの命令に従う生活を送っていたからです。実際、レカブ人たちのその生活様式の伝統は、250年間絶えることなく守り貫かれたようです。
  • レカブ人に「酒を飲ませる」というエレミヤの象徴的行動は、彼らの先祖の命令に対する従順さを明らかにするためのものでした。それは、神の声に耳を貸さず、預言者たちの声にも聴き従わないユダの人々の姿と対比させる逆説的たとえとなっているのです。

2. レカブ人の存在が神のメッセージの一面を担っている 

  • レカブ人の特異な生活様式は、周りの人々の注目の対象であったに違いありません。現代においても、再洗礼の流れにある「アーミッシュ」の呼ばれる人たちがいます。聖書の生き方をそのままに生きようとしたために、激しい迫害を受け、そのためにアメリカに移住を余儀なくされました。その生活共同体、運命共同体が「アーミッシュ」と呼ばれます。彼らは高度な文明社会の中にあっても、小規模な共同体に徹し、固執し、簡素な生活を保持しています。文明の機器と言われる、電気を使わず、自動車もなく、電話、ラジオ、テレビといった通信機器も使う生活以上に、より精神的な、霊的なものを重視する生き方をしています。そうした生き方は現代の文明社会に生きる人々に驚きを与えています。
  • 新約時代のエッセネ派、バプテスマのヨハネのような荒野で叫ぶ者たち、ナジル人、修道院、そして「アーミッシュ」などは、いわばレカブ人的系譜にある者たちです。彼らは霊的な中核を求めるために隠遁生活を送るという特徴があります。そうした生活様式をしなければ神に受け入れられないというわけではありませんが、そうした生き方を通して、より価値のある霊的・精神的な事柄のあかし的存在として、神に用いられていると言えます。
  • エレミヤ書35章に登場する「レカブ人」の存在は、彼らの生活を様式を真似ることを推奨するものではなく、むしろユダとエルサレムの人々に対して、神のことばに従順であることを求めるたとえとなっています。
  • シェマ、イスラエル」-これが、神が何時の時代にも求めておられることです。

2013.3.27


a:8703 t:1 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional