****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

「奉献式と過越の祭」

6. 「奉献式と過越の祭」

〔聖書箇所〕 6章16節、19節

  • 6:16 そこで、イスラエル人、すなわち、祭司、レビ人、その他、捕囚から帰って来た人々は、この神の宮の奉献式を喜んで祝った。
  • 6:19 捕囚から帰って来た人々は、第一の月の十四日に過越のいけにえをささげた。

はじめに

  • 主によって霊を奮い立たせられた帰還者たちは、サマリヤ人たちの妨害に遭い、一度はそれをさせられますが、預言者ハガイとゼカリヤを通して、再び「霊が奮い立たせられた」ことにより、神殿再建事業は再開され、完成に至りました。もし主の加入がなければ、おそらく再開する見込みはなかったはずです。
  • これは、アブラハムが主の召しを受けてカナンの地に行き、そこに祭壇を築いたにもかかわらず、ききんのために生存が脅かされた時、彼はエジプトの地に下っていったことと似ています。もしそこで主がアブラムの妻サライのことで、パロとその家をひどい災害で痛めつけなかったとしたら、自分で主の召しに立ち返ることはできなかったはすです。主はこのように、ひとたび主の計画から外れたり、挫折したりしたとしても、再度、チャンスを与えくださる方です。それゆえ、私たちがたといどんな失敗を犯したとしても、それで終わってしまうことなく、神のあわれみを期待することができるのです。そこには神の深い真実が流れているからです。

1. 神殿奉献の喜び

  • バビロンからエルサレムに帰って来た人々は、神殿の再建が20年間もかかるとはだれも思っていなかったに違いありません。私たちはあるヴィジョンに向かって働きを始める時、敵の妨害や自分の弱さを計算に入れていないことが多いと思います。たとえ、ある程度は想定していたとしても、厳しく構えてはいないものです。ですから、出鼻をくじかれたりすると折れてしまうのです。
  • 現代の日本では、ちょっとしたことで傷つき、自信を喪失して、やる気をなくして投げやりになってしまう子どもたちや若者が多いようです。霊を強くするにはどうしたらいいのか。簡単に、折れない心を持つためにはどうすればよいのか、それはキリスト者にとっても大きな問いです。
  • エズラ記によれば、神の民たちは(預言者を通して)主の声を聞いたということです。彼らはかつてもそうであったように、再び、主に「霊を奮い立たせられた」のです。主の声が聞こえるところに身を置いて、主とのかかわりを優先すること、それなしには、一度、折れてしまった心を真直ぐにすることは不可能です。幸いなことに、主は、彼らの霊を奮い立たせ、彼らも神とのかかわりを優先することで、神の臨在の象徴である神殿が完成したのです。また神は、異邦の王(ダリヨス王)にも働いて、神殿再建を完成させたのでした。すべては神がなされたことでした。ですから主に栄光を帰し、神殿を主に奉献することは当然のことです。その喜びが伝わってきます(6:16~18)。

2. 過越の祭の実施

  • 神殿再建の完成と奉献式の後に、はからずも、過越の祭が挙行されています。たまたま時期がぶつかったのか分かりませんが、エズラ記の前半の結論として、過越の祭りが置かれているのは意義の深いことです。なぜなら、過越の祭りは神の民が自分たちの存在のアイデンティティを確立する上でなくてはならない「思い起こし(想起)」だからです。
  • イスラエルの歴史の中で、「過越」が意味あるものとして想起された事実は必ずしも多くありません。以下は、「過越の祭の歴史的鳥瞰」です。

①民9:2~5 エジプトを出た民たちは、一年後にシナイの荒野で過越のいけにえをささげました。


②ヨシュア5:10 40年後にイスラエルの民はヨシュアを指導者としてカナンの地へ入国したあと、ギルガルに宿営しているとき、(割礼を施した後)、民たちは過越のいけにえをささげました。


③ソロモン王の治世の後半(神殿が建設されたあとの20年間)、過越の祭りがなされました。(Ⅱ歴代誌8:12~13)


④ヒゼキヤ王の宗教改革の時(Ⅱ歴代誌29:1~36)BC720
ヒゼキヤがまず取り組んだのは宗教改革の幕開きは宮きよめでしたが、はからずも、その月は第1の月、つまり「ニサンの月」であり,過越の祭を行うべき月(出エジプト12章)でした。しかし、宮きよめが終っていなかったため実施出来ず、ヒゼキヤは人々に計って翌月の第2の月にずらして行うことを決めました。ヒゼキヤの呼びかけによって、おびただしい大集団がエルサレムに集い、過越と種を入れないパンの祭が挙行されました。


⑤ヨシヤ王の改革の時(Ⅱ歴代誌35章)BC637
ヨシヤの治世での過越の祭は,ヒゼキヤの盛大さを超えるものであったようです。


⑥捕囚後の神殿再建の完成後(エズラ6:19~22)
バピロン捕囚から解放されたイスラエルの民たちは、イスラエルに戻り、神殿を完成したあと、再び過越の祭が守られるようになりました。     

  • 実に、神の民がモーセの律法に従って過越の祭りをするということは、神の民としての存在のルーツ、その目的、アイデンティティが確立されることなのです。
  • 今日のキリスト者においては「主の晩餐」(聖餐)がそれに当ります。主イエスは「わたしを覚えるためにこれを行ないなさい」と制定されましたが、その聖餐がなされるたびに意味のある「思い起こし」がなされているかが問われます。
  • 私たちのための罪のいけにえとしてのイエスの肉体、そして罪の赦しのために流される尊い血潮、主イエスのゲッセマネにおける苦しみの祈りとあわせて、私たちは主イエス・キリストの十字架の死を思い起こさなければなりません。それはすべて「私の罪のため」の出来事であり、苦しみであったことを。


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