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「天の御国の奥義」の総論

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53. 「天の御国の奥義」の総論

【聖書箇所】マタイの福音書13章1~52節

ベレーシート 

  • マタイの福音書の13章には第三の説教である「天の御国の奥義のたとえ」が記されています。マタイの福音書には五つの説教がサンドイッチのように挿入されています。これは明らかにモーセ五書を意識したものと言えます。モーセ五書はユダヤ人にとっての基本となる教えそのものでした。マタイの五つの説教は、以下のようにキアスムス構文を構成しています。

1. 山上の説教(5~7章)・・・御国の憲章
2. 御国の民の使命の説教(10章)・・御国の福音の宣教戦略
3. 天の御国の奥義の説教(13章)・・御国の到来の奥義
4. 御国の民の関係の説教(18章)・・御国の民同志における関係
5. 終わりの日の説教(24~25章)・・御国が完成する前に起こる出来事

  • この五つの説教で最も中心は、三番目ある「天の御国の奥義の説教」です。なぜなら、イェシュアの教えと宣教、癒しも奇跡もすべて御国のことを示唆するものだからです。イェシュアの関心のすべてはこの「天の御国」(=神の支配)にあったからです。その「天の御国の奥義の説教」全体をまず概観したいと思います。

1. マタイの福音書13章の「天の御国の奥義」の構成について

  • 「天の御国の奥義」の説教構成それ自体も、以下のように、キアスモス(Χιασμός)構造であるということです。

天の御国の奥義の説教構造.PNG

  • 3~9節までは大勢の群衆(彼ら)に対して、10~23節は弟子たち(あなたがた)に対して語らました。24~35節も群衆たちに対して語られ、36~52節は弟子たちに語っています。このキアスムス構造が意味することは、強調点は中心のEの部分にあるということです。まずその部分を取り上げてみたいと思います。

【新改訳2017】マタイの福音書13章34~43節
34 イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話された。たとえを使わずには何も話されなかった。
35 それは、預言者を通して語られたことが、成就するためであった。「私は口を開いて、たとえ話を、世界の基が据えられたときから隠されていることを語ろう。」
36 それから、イエスは群衆を解散させて家に入られた。すると弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。
37 イエスは答えられた。「良い種を蒔く人は人の子です。
38 畑は世界で、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らです。
39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫は世の終わり、刈る者は御使いたちです。
40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのようになります。
41 人の子は御使いたちを遣わします。彼らは、すべてのつまずきと、不法を行う者たちを御国から取り集めて、
42 火の燃える炉の中に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
43 そのとき、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。


2.「耳のある者は聞きない」とはどういう意味か

  • キアスムス構造のEの部分の34~43節の対象は二つに分かれます。34~35節の部分が群衆に対して、しかもこの話は家の外で語られたものです。36~43節の部分はイェシュアの弟子たちに対して語られたもので、家の内で(家に入られてから)、弟子たちの質問に答えて語られたものです。しかも、その最後には、13章9節にあった「耳のある者は聞きなさい」というフレーズがあります。このフレーズは群衆にも弟子たちもそれぞれ語られたもので(弟子たちは二度目)、そこには重要なメッセージが込められていると言えます。
  • 特に、マタイは「耳のある者は聞きなさい」というフレーズを、みことばを聞いてそれを悟る人のことだとしています。何を悟るのかが問題です。聞いて悟る者が実を結ぶのです。それが御国の奥義なのです。私たちが御国の奥義を悟るとはどういうことでしょうか。それは、「主の定め」を理解するということです。なぜなら、メシア詩篇と言われる詩篇2篇7節に、「わたしは主の定めについて語ろう」とあるからです。ここの「わたし」とは、御子イェシュアのことを指し示しているからです。つまり、「主の定め」とは、御国(神の国)の秘められたご計画とみこころ、御旨と目的を意味しています。それだけでなく、それに参与する御国の民(主の弟子)たちの信仰の決断も含まれています。イェシュアの語るたとえ話は、「主の定め」を「すでに」と「いまだ」の終末的緊張関係の中で理解することが求められているのです。
耳のある者は聞きなさい.PNG
  • 聞く耳のある者は聞きなさい」というフレーズは、「御国の奥義」と密接な関係をもっています。このフレーズは左図にあるように新約聖書で14回使われています。特に、マタイ11章15節にある「聞く耳のある者は聞きなさい」というフレーズは、御国はすでにバプテスマのヨハネの時からそれが始まっているということをイェシュアは語っています。天の御国は、バプテスマのヨハネの登場とイェシュアの登場によってすでに始まっているのです。しかし、いまだその時は完全には来ていないのです。御国にはこの緊張関係があるということをヨハネは理解できなかったために、彼は風に揺れる葦のようにイェシュアにつまずいたのです。しかしイェシュアは話を聞いている群衆に対して、このことを理解するように(信じるように)と求めたのが、「耳のある者は聞きなさい」ということばだったのです。ですから、このフレーズは御国の奥義を知ることにおいてきわめて重要な語彙と言えます(マタイ13:9, 43)。また、ヨハネの黙示録では、アジアある7つの教会に対してそれぞれにこのフレーズが語られています。そこでは「耳ある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」と言われています。しかし13章9節だけは、教会に対してではなく、イスラエルに対して語られています。
  • マタイの福音書13章にある「御国の奥義」のたとえは、以下の事柄を含んでいます。

    (1) 「御国の奥義」のたとえは、イェシュアが語り、そして実現・完成される「主の定め」であること。
    (2) 「主の定め」は、神のご計画とみこころ、御旨と目的にそって理解すること。
    (3) 「主の定め」は、「すでに」(初臨)と「いまだ」(再臨)という終末的緊張関係の中で理解すること。
    (4) 「主の定め」は、それを聞く者に信仰的決断を促していること。
    (5) 「主の定め」は、御国の民となる者とそうでない者とを分けるものであること。

  • これらの情報をもって、13章1~51節にある「天の御国の奥義」の全体を少なくとも3度は読み、そこから受ける印象を味わってみると良いでしょう。

2019.5.7


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