Ps49の「かかわりの構造」
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- チャートが示すように、詩篇49篇には4つの存在があります。私たち人間を最も恐れさせる「死」という問題について、それぞれが密接なかかわりを持っています。順にそれらを挙げてみます。
(1) 「他者」
- まずは、「すべての国々の民」「世界に住むすべての者」たちの存在があります。身分や貧富の差別なく、一様に、「死」という問題にさらされている者たちがいます。そして、「私」という存在から「恐れるな」と呼びかけられています(16~20節)。
(2)「私」 〔御子〕
- 次に、そうした者たちに呼びかけ、知恵を語り、英知を告げる(口ずさむ)存在である「私」がいます。「たとえ」(格言)」に耳を傾け、「私のなぞ」、つまり、自分も例外なく直面する死というなぞについて解き明かそうと呼びかける存在です。「死」は、よみを住処とし、だれもそこから救いだす(買い戻す)者はおりません。それができるのは、神だけです。
- 神が自分を受け入れ、自分のたましいをよみの手から買い戻してくれる神がいるという「知恵」と「英知」を与えられたからです。その恩寵のすばらしいにあふれて、自分のみならず、他の人々にもその福音を語ろうとしているのです。
- 人となられた御子は、このために御父から遣わされました。御子は人々に「耳のある者は聞きなさい」と呼びかけられました。
(3) 「敵」
- 「私」という存在を取り囲んで、悪意をもって中傷し、「恐れさせ」ている敵の存在があります。彼らは自分の財産に信頼し、豊かな富を誇る者たちでもあります(5, 6節)。
(4) 「神」 〔御父〕
- 人は、自分もまた親しい兄弟のたましいを買い戻すことはできません。買い戻すための身代があまりにも高額であるために、誰ひとりとして神にそれを払うことが出来ません。そのために、人は、たとえ、どんなに栄華を極めようとも、そこにとどまることができないのです。人の行き先は例外なく「よみ」です。
- ところが、「私のたましいをよみの手から買い戻し、私を受け入れてくださる」神がおられるのです(15節)。