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Ps121の「かかわりの構造」

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Ps121


  • 詩篇121は、はっきりと二つの部分からなっています。新改訳では、1~4節、5~8節までの二つに分けてありますが、人称を見る限りにおいては、1~2節、3~5節の二つに分けるのが自然です。
  • 「私」という存在は自らに問いかけ(1節)、自ら答えを引き出しています(2節)。特に、2節の「私の助けは、天地を造られた主から来る」という信仰の告白となっており、この詩篇121篇の結論と考えることができます。このような信仰告白はどのようにしてもたらされたかと言えば、3節以降にある人称なき存在の声です。
  • 3節以降では「私」という存在が、「あなた」という存在に置き換えられています。そして、「主」が「あなたに」にとってどのような方であるかが語られています。この「主」は「天地を造られた方」(2節)であり、また「イスラエルを守る方」(4節)でもあります。この「主」が「あなた」を守る方であることが特に強調されています。

    Ps121b

  • この詩篇で祈っているのが「御子」(そこに私たちもかかわります)とすれば、「主」は御父のことです。そして、この詩篇で最も重要な働きをしているのが、人称なき存在、すなわち、「聖霊」です。こうした聖霊の励ましがあることによって、私たちは、自分の助けがどこから来るかを確信して生きることができます。主、すなわち、御父から助けを求めず、ほかの何かにその助けを求めるならは、それは偶像礼拝の罪となるのです。人生の旅路は、常に、助けを必要とする道です。その道程において、真の「助け」がどこから来るのか、いつも私たちは問われているのです。御霊の静かで確かな声をいつも聞く必要があるのです。

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