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3D瞑想法の実際ーイザヤ書30章15節

15. 3D瞑想法の実際(1)ーイザヤ書30章15節

はじめに

  • 前号において「3D瞑想法」の勧めをいたしました。聖書のみことばを縦、横、奥行きをもって味わう瞑想法です。特に、第三次元の奥行き感を味わうためには、聖書の原語となっているヘブル語、ギリシア語の基礎的な文法の知識が必要です。この知識を得るにはその訓練が必要ですが、今は便利なツール(手段・道具)があり、自動車運転免許を取得する程度の努力でみことばの奥行き感を体験することができるのです。ちなみに、今年の修養会の主要聖句となったイザヤ書30章15節の心探られる神の呼びかけを3D瞑想法で味わってみたいと思います。

    【新改訳改訂第3版】
    神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」

    【新共同訳】
    まことに、イスラエルの聖なる方/わが主なる神は、こう言われた。「お前たちは、立ち帰って/静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と。

    【口語訳】
    主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。


1. 神の最初の呼びかけ        

  • ヘブル語のテキストをもとに逐語的に訳してみると以下のようになります。

    まことに、こう言われた。私の主である神、イスラエルの聖なる方(が)
    「立ち返り と 静まり によって あなたがたは救われます。
    落ち着き と 信頼 が あなたがたの力となります。」

  • 実に、一つひとつのことばが取り出しやすいように並んでいるのです。しかも二つの文章から成っています。ヘブル語特有の「パラレリズム」です。前文が後文によって補強されています。だれが語っているのかといえば「イスラエルの聖なる方」です。語っている方がただならぬ方であることに気づくことができるなら、続く「呼び掛け」はより力をもって迫ってくるはずです。そしてその「聖なる方」の呼びかけの中にあることばー「立ち返り」「静まり」は名詞です。「落ち着き」は動詞の名詞的用法、そして「信頼」は名詞です。動詞は「救われる」と「(力と)なる」で、ここの「力」は名詞ですが、その動詞を調べるならば、それがみなぎる力、増し加わる力、勢いとしての「力」(strength)であることが分かるのです。
画像の説明
  • 一つひとつのことばを味わいます。二語の漢字で表わすなら「悔改」「静謐」「平穏」「信頼」となります。「悔改」はあなたの生き方を変えるように促している言葉です。そして「静謐」これは神の前にひとりになって過ごす祈りの生活です。「平穏」これはどんなことにもあわてない冷静沈着な態度です。そして「信頼」は完全に神にゆだねきる姿勢です。これらはいずれも一朝一夕にして体得できるものではありません。多くの人々はこの神の呼びかけに対して、イザヤの時代の多くの人々が「それを望まなかった」とあるように、喜んで受け入れることができないものです。なぜなら、それは目に見えない保障であり、目に見える助けの方が安全だと思うからです。この神への不信がやがて自分たちの国を滅ぼすことになることを警告されているにもかかわらず、神に信頼することができないのです。

2.  神の再度の熱い呼びかけ

イザヤ30章18節
「それゆえ、【主】はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。【主】は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。」

  • 日本語の聖書ではわからないのですが、この神のことばの中に意味を強調する「強意形(ピエル態)」と言われるヘブル語動詞が二つ使われています。ひとつは「待っておられ」(ハーハーחָכָה)という動詞と、もうひとつは「あわれもう」(ラーハムרָחַם)という動詞です。神は「待たれる神」であり、「あわれもう」とする神です。神は民が立ち返ってくるのをいつも待っておられるのです。そして私たちをあわれまれるのです。このようにヘブル語のわずかな基礎的知識をもつことで、神の呼びかけがより強く私たちに迫ってくるではありませんか。

2011.8.19


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