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2章8節「神である【主】は東の方のエデンの園を設け」


創世記2章8節

【新改訳2017】
神である【主】は東の方のエデンに園を設け
そこにご自分が形造った人を置かれた

【聖書協会共同訳】
神である主は、東の方のエデンに園を設け、
形づくった人をそこに置かれた。

ח וַיִּטַּע יְהוָה אֱלֹהִים גַּן־בְּעֵדֶן מִקֶּדֶם
וַיָּשֶׂם שָׁם אֶת־הָאָדָם אֲשֶׁר יָצָר׃

べレーシート

●8節で初めて登場する語彙は「東の方」「エデンの園」「設ける」「置かれた」の四つです。これらの語彙をひとつひとつ取り上げてみたいと思います。

1. 「東の方」

●「東の方」と訳された「ミッケデム」(מִקֶּדֶם)、多くの聖書が「東の方」と訳しています。「東」である「ケデム」(קֶדֶם)ですが、どこを規点として東の方なのかは明確ではありません。この語彙は「東」のみならず、「昔」「以前」「前」をも意味し、時の「起点を表わす」前置詞の「ミン」(מִן)の省略形でמִを接頭語とした用法で「以前からある」(מִקֶּדֶם)、つまり、人が創造される以前からある、とも解釈できます。用例としては、以下のイザヤ書45章21節と46章10節他がそうです。

①【新改訳2017】イザヤ書45章21節
告げよ。証拠を出せ。ともに相談せよ。だれが、これを昔から(「ミッケデム」מִקֶּדֶם)聞かせ、以前からこれを告げたのか。わたし、【主】ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正しい神、救い主、わたしをおいて、ほかにはいない。

②【新改訳2017】イザヤ書 46章10節
わたしは後のことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から(「ミッケデム」מִקֶּדֶם)告げ、『わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。

③【新改訳2017】ネヘミヤ記 12章46節
昔から、ダビデとアサフの時代から、歌い手たちのかしらたちがいて、神への賛美と感謝の歌がささげられた。

④【新改訳2017】詩篇74篇12節
神は昔から私の王この地において救いのみわざを行う方。

⑤【新改訳2017】詩篇 77篇11節
私は【主】のみわざを思い起こします。昔からのあなたの奇しいみわざを思い起こします。

⑥【新改訳2017】詩篇78篇2節
私は口を開いてたとえ話を昔からの謎を語ろう。

⑦【新改訳2017】ミカ書 5章2節
「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」

●ちなみに、東を意味する「ケデム」は8節だけでなく、14節にもあります。

箇所原文新改訳2017聖書協会共同訳
8節「ミッケデム」(מִקֶּדֶם)東の方の東の方の
14節「キドゥマット」(קִדְמַת)~の東東の方

●ヘブル語には「東」を意味する語彙として「ミズラーハ」(מִזְרָח)があります。これは太陽が「上る、輝く、現われる」を意味する動詞「ザーラハ」(זָרַח)の名詞形です。「東から」という場合には、接頭語(前置詞)の「ミン」(מִן)を付けて「ミンミズラーハ」(מִמִּזְרָח)と表記します。ちなみに、「日の昇るところから日の沈むところまで」のヘブル語表記は「ミンミズラハ・シェメシュ アッド・メヴォーオー」(מִמִּזְרַח־שֶׁמֶשׁ עַד־מְבֹואֹו)となります。

2. 「設けた」

●「設けた」と訳された「ナータ」(נָטַע)は、神が造ったものを植え付けるために設けたという意味です。「土の器の中にいれた宝」(Ⅱコリント4:7)のたとえのように、エデンの園はまさにその「土の器」としてのイメージです。「宝」は「人」です。その人を植えるためにエデンの園を神はあらかじめ(「ミッケデム」מִקֶּדֶם)用意されたと言えます。黙示録21章に登場する「聖なる都、新しいエルサレム」は「エデンの園」に相当します。新たに設けられた「新しいエルサレム」に、新しく創造された人が置かれるのです。

3. 「エデンの園」

●「エデンの園」(「ガン・ベエーデン」גַּן־בְּעֵדֶן)は「エデンの中にある園」という意味で、「エデン」と「園」の二つの言葉からなっています。「エデン」(「エーデン」עֵדֶן)とは「楽しみのある贅沢な所」であり、「良い食べ物がたくさんあってそれを思いのまま食べてよい所であり、しかも豊かな水のある所」です。神はそこに「園」(「ガン」גַּן)を設けられたとあります。

●「ガン」(גַּן)とは「四方で囲まれた庭」という意味。七十人訳は「園」を「パラダイス」と訳しています(創世記2:10, シラ書24:30, イザヤ書51:3)。旧約で「エデンの園」という表現は、創世記2章8節の他に、2章15節、3章23, 24節、エゼキエル書36章35節、ヨエル書2章3節の6回です。特に、エゼキエル書36章35節では、イスラエルの全家がメシア王国においてエデンの園のように回復することが預言されています。

【新改訳2017】エゼキエル書 36章35節
このとき、人々はこう言うだろう。『あの荒れ果てていた地はエデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果て、破壊されていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになった』と。

●これは、神が大患難時代において真に悔い改めたイスラエルの民を約束の地(カナン)に住み着かせ、大いに祝福されるという預言です。それによって神がアブラハムと結ばれた契約が完全に成就されるのです。イェシュアの到来(初臨)の目的はイスラエルの家の滅びた羊のところに来られ(遣わされ)、天の御国が近づいたことを宣べ伝えることでした。

●いずれにしても、「エデンの園」とは神と人が一つ(「エハード」אֶחָד)になることの喜び(楽しみ)を意味することから、それは幕屋神殿御国永遠のエルサレムとも言い換えることができるのです。

4. 「置かれた」

●神である主が大地のちり(粘土)で人を「土の器」として形造り、それにいのちの息を吹き込むことで「生きるもの」としたように、「エデンの園」に人は「置かれ」ることによって完成するのです。「置いた」という動詞「スィーム」(שִׂים)は、他に「任命する」という意味もあります。エデンの園に人を何のために任命したのかといえば、15節にあるように、エデンの園を「耕す」(「アーヴァド」עָבַד)ためであり、それを「守る」(「シャーマル」שָׁמַר)ためです。これについては、2章15節で再度取り扱います。

●「耕す」のヘブル語「アーヴァド」(עָבַד)は、「仕える」という意味もあり、モーセの幕屋で仕える祭司用語です。「仕える」とは「礼拝する」ことを意味します。「アーヴァド」についてはこちらをクリック。

●最初の人(アダム)がエデンの園に「置かれた」目的は、「神に仕えるため」、「神を礼拝する者となるため」なのです。これが「耕す」の本意であり、祭司としての原点なのです。この務めがなされるときに、王としての務めが可能となるのです。この逆ではありません。

2020.4.14
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