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2章5節


創世記2章5節

【新改訳2017】創世記2章5節
地にはまだ、野の灌木(שִׂיחַ)もなく、野の草も生えて(צָמַח)いなかった。神である【主】が、地の上に雨を降らせていなかったからである。また、大地を耕す (עָבַד)人もまだいなかった。

【聖書協会共同訳】創世記2章5節
地にはまだ野の灌木もなく、野の草もまだ生えていなかった。神である主が地上に雨を降らせず、土を耕す人もいなかったからである。


  • 創世記2章5節の時点では、普通の実のなる「木」(「エーツ」עֵץ)ではなく、みすぼらしい灌木(低木)である「スィーアッハ」(שִׂיחַ)が用いられています。その理由は、「神である主」が地の上に雨を降らせていなかったからということと、まだ大地を耕す人間が造られていなかったからです。
  • しかし人が造られることで、野(「サーデ」שָׂדֶה)はやがて「麦畑」となり、イェシュアの弟子たちは安息日に「麦畑の穂を摘んで始めています」(マタイ12:1、マルコ2:23)。また、イェシュアは御国のことを「畑(「サーデ」שָׂדֶה)に隠された宝のようなもの」とたとえています。
  • 大地を「耕す」人もまだいなかったという表現は、人の務めが大地を「耕す」ことにあることが分かります。エデンの園に置かれた人の務めが2章15節で「耕すこと」と「守ること」にあることが記されていますので、そこで再度、取り扱いたいと思います。

2018.11.29

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