****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

2章24節「それゆえ、ふたりは一体となるのである。」


創世記2章24節

【新改訳2017】
それゆえ、男は父と母を離れ、
その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである

【聖書協会共同訳】
こういうわけで、男は父母を離れて妻と結ばれ、
二人は一体となる。

כד עַל־כֵּן יַעֲזָב־אִישׁ אֶת־אָבִיו וְאֶת־אִמֹּו
וְדָבַק בְּאִשְׁתֹּו וְהָיוּ לְבָשָׂר אֶחָד׃

べレーシート

●18節で「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう」ということが、24節の「二人は一体となる」ことで実現します。24節は、単なる結婚についての教えだけでなく、福音そのものの奥義が語られています。ここでは三つのこと、すなわち、「結ばれる」「一体となる」、そのために「父母を離れる」とはどういうことかを取り上げます。

1. 「結ばれる」

●「結ばれる」と訳された「ダーヴァク」(דָּבַק)は旧約で54回使われています。その意味を自分なりにグルーピンクしてみると 以下の意味が浮かび上がってきます。

〔1〕結びつく、縁を結ぶ 
〔2〕すがる 堅くすがる
〔3〕まといつく 
〔4〕くっつく、くっついて離れない
〔5〕心が惹かれる
〔6〕そばにいる、そばから離れない 
〔7〕へばりつく、打ち伏す 
〔8〕追いつく、追い迫る、追跡する、押し迫る
〔9〕(罪がへばりついて、その結果)、罪を犯し続ける
〔10〕堅く守る

●結論として、「ダーヴァク」(דָּבַק)には、神と人、および人と人のかかわりがきわめて親密であることをうかがわせる動詞だということがはっきりします。中でも、異邦人のルツがユダヤ人のナオミに「すがり」ついたことがどんなにすばらしい結果をもたらしたことでしょうか。「神が結び合わせたものを人が引き離してはならない」(マタイ19:6)のです。

2. 「一体となる」

この箇所を、パウロは奥義だと述べています。

【新改訳2017】エペソ人への手紙5章30~32節
30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
32 この奥義は偉大です私は、キリストと教会を指して言っているのです。

●「男はその妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」とあります。「なる」と訳された「ハーヤー」(הָיָה)は、神が生きて絶えず活動しているように、極めて動的な性格を持つ動詞です。そのような意味で「一体となる」ことを考える必要があります。

●「一体」は「バーサール・エハッド」(בָּשָׂר אֶחָד)です。「バーサール」の語源である動詞「バ―サル」(בָּשַׂר)には「良い知らせを伝える」という意味があります(イザヤ40:9)。特にイザヤ書では「バーサル」を、以下のように、「良い知らせを伝える」という意味で使っています。

【新改訳2017】イザヤ書40章9節
シオンに良い知らせを伝える者よ、高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ、力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ、あなたがたの神を。」

【新改訳2017】イザヤ書41章27節
わたしが最初にシオンに『見よ、それらはここにある』と言い、わたしがエルサレムに『良い知らせを伝える者を与える』と言った。

【新改訳2017】イザヤ書52章7節
良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。

【新改訳2017】イザヤ書61章1節
【神】である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、【主】はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、

●まさに一体となるということは、神の本来の深遠なみこころが秘められています。この奥義は偉大なのです。それゆえに、回復への「福音」ともなるということです。そのためには「父と母」を離れなければならないのです。

3. 「父母を離れる」

●ここに出てくる「父と母」とは何でしょうか。2章で登場する男と女は赤子で生まれたのではなく、最初から大人として存在しています。ではなぜ彼らに「父と母」がいるのでしょうか。これは預言的な意味が隠されています。男と女がキリストと教会を表わす奥義であったことをパウロはエペソ書5章で述べています。男と女にキリストと教会の奥義が隠されているとすれば、男の「父と母」にも奥義が隠されていると考えるのは自然なことです。イェシュアもパウロも、実はこのことを余儀なく経験したのです。「父母を離れる」という戦いを経なければ、真のトーラーを実現することも、また、キリストと教会が一体となることも決してできななかったのです。

●十戒の第五戒に「あなたの父と母を敬え」(出エジプト20:12)とあります。ここでは文字通りの「父と母」です。しかし創世記2章23節の「父と母」は文字通りの意味ではなく、メタファーです。「離れる」と訳された「アーザヴ」(עָזַב)は「捨てる、見捨てる」を意味するきわめて強いことばです。こんな教えを伝えたなら大変なことになるのは目に見えています。しかし、ここでの「父と母」とは、男を生み出したユダヤ教の死んだ、神殿、律法主義を中心とするユダヤ教そのものなのです。創世記2章ではこのことが奥義として隠されているのです。隠されたものは、必ず歴史の中で表されるのです。

【新改訳2017】マルコの福音書 4章22 節
隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。

●そのことを理解するために、初代教会の最初の殉教者となったステパノをら目を向けたいと思います。彼は「恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。・・彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった」とあるように、使徒並みの人物だったのです。その彼が最高議会に訴えられたのです。

【新改訳2017】使徒の働き6章11~14節
11 そこで、彼らはある人たちをそそのかして、「私たちは、彼がモーセと神を冒?することばを語るのを聞いた」と言わせた。
12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
13 そして偽りの証人たちを立てて言わせた。「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。
14 『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」

●訴えの要点は、ステパノのみならず、ナザレのイェシュアも「聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。」ということてす。「聖なる所」とは神殿のことです。ユダヤ教において最も重要な神殿と律法、それに対して逆らうという訴えです。まさにこれこそが「父と母」なのです。初代教会はこの「父母を離れる」ことによって始まったと言えます。これはまさにそうなるように神がご計画されたことの預言であり、成就だったのです。

●イェシュアがなぜ殺されたのかといえば、ユダヤ教の根幹にふれたからです。イェシュアの使徒たち、そして使徒パウロも同様です。彼らの敵は彼らが育ったユダヤ教そのものだったのです。なぜなら、ユダヤ教の教えが神のみこころから遠く離れてしまっていたからです。

2020.5.12
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