1.ダビデ以前の<新しい歌>・・主の力ある歴史的な勝利を心に刻み込む歌
本論1 旧約時代における「新しい歌」と礼拝様式の変遷<1>
<はじめに>
- まず、旧約聖書の時代における「新しい歌」とその変遷について概観してみよう。
①1300 モーセ時代の幕屋礼拝・・・・動物によるいけにえ
②1000 ダビデ時代の幕屋礼拝・・・・賛美による礼拝様式、新しいいけにえ
③ 960 ソロモン時代の神殿礼拝・・・モーセの幕屋礼拝とダビデの幕屋礼拝との融合
④ 700 ヒゼキヤ時代の改革・・・・・・ ダビデの幕屋礼拝の回復
⑤ 622 ヨシヤ時代・・・・・・・・・・・・・・律法の書発見
⑥ 587 バビロン捕囚・・・・・・・・・・・・シナゴーグ礼拝(みことば礼拝)
⑦ 538 エルサレム帰還・・・・・・・・・・神殿礼拝の回復(歴代誌に見られるダビデの賛美礼拝の回復)
⑧ 450 エズラ・ネヘミヤ時代・・・・・・ 神殿礼拝とシナゴーグ礼拝
1. ダビデ以前の「新しい歌」・主の力ある歴史的な勝利を心に刻みこむ歌
(1) ミリアムの歌 (出エジプト記15章)
- ダビデの時代以前において、神の民が主に対して歌った「新しい歌」があった。それは出エジプト記15章にある「ミリアムの歌」として知られている。リーダーのモーセは歌を導き、その姉の女預言者ミリアムはタンバリンを打ち鳴らして、女たちの踊りの先頭に立った。
「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。」(1,2節)
- エジプトの奴隷であったイスラエルの民は,その時代最も強力なエジプトの軍隊と海との間に挟まれて、どうすることもできない恐れと絶望の中にいた。ところが、人間の思いをはるかに越えた、驚くべき出来事が起こった。海は二つに割れ、民はその乾いた地を歩いて渡った。そして追っ手は海に投げ込まれたのである。イスラエルの民は新しい歌を歌った。なにゆえに歌うのか。王である主がすばらしいことをしてくだったからである。その内容は、神がこれこれのことをして下さったという神の偉大な御業のストーリーを語り、主に向かって感謝と賛美をささげることが彼らの礼拝であった。そして、この時代の歌はリズム楽器によって伴奏された。
(2) デボラの歌 (士師記5章)
- シセラに率いられたカナン軍に対するイスラエルの戦いにおいて、主が介入されたときに歌われている。しかし具体的にどのように歌われたのかは知ることができない。
- 「聞け、王たちよ。耳を傾けよ。君主たちよ。私は主に向かって歌う。イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。・・キション川は彼らを押し流した。」(3節、21節)
- カナン軍は進歩した装備を持っていた。また軍隊は職業軍人によって率いられていたのに対して、イスラエルは戦車もなく、率いていたのも武器さえもたない女性デボラであった。しかし戦いが起こったとき、川の水があふれ、土手が破れた。そのため敵の戦車の車輪は動かなくなり、敵は徒歩で逃げなければならなかった。イスラエルはこの哀れな敵を打ち破った。イスラエルの勝利は力のない者たちの勝利であり、自分たちを守ってくださった主を信頼する勝利であった。