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陶器師の手の中にある粘土のように

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21. 陶器師の手の中にある粘土のように

【聖書箇所】 18章1節~23節

ベレーシート

  • 18章には、神とイスラエルの関係を「陶器師と粘土(器)」にたとえています。聖書には神と民(あるいは人)とのかかわりを、「羊飼いと羊」「ぶどうの木とその枝」「夫と妻」「花婿と花嫁」といったたとえで表現したりします。日常的なたとえを使って神と人とのかかわりを連想させます。
  • 「陶器師と粘土(器)」のたとえは、イザヤ書、およびエレミヤ書に顕著です。預言者エレミヤは主によって、陶器師の家とその仕事場に下って行くように(おそらく、南にあるベン・ヒノムの谷)、命じます。そこでエレミヤは彼らの仕事を見ながら、神がイスラエルの民になそうとすることを見せられました。

1. 神の主権による取扱いとしての「破壊」と「再生」

【新改訳改訂3】
18:2 「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたに、わたしのことばを聞かせよう。」

18:3 私が陶器師の家に下って行くと、ちょうど、彼はろくろで仕事をしているところだった。

画像の説明

18:4 陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。

18:6 「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。──【主】の御告げ──見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。

  • 神はご自身の民を、陶器師の手の中にある粘土(あるいは、器)のように自由に取り扱う権利があります。粘土を使って何を造るか、それを壊したり、つぶしたりするのは、いつも陶器師の心のままです。したがって、粘土や器が陶器師に向かってなにか文句をいうことはあり得ません。
  • 粘土を選ぶこと、粘土から小さな石ころを取り除くこと、柔らかくなるように練ったりします。そしてろくろに乗せて思いのままの形に仕上げるのです。「ろくろ」は陶器師の創作のために必要な道具です。その意味では、「陶器師」と「粘土」そして「ろくろ」は三位一体と言えます。「ろくろ」を使うことによって、より丁寧に、よりバランスのとれた形に仕上がって行きます。「ろくろ」の原理は回転の繰り返しですが、これは私たちの日々の生活の日課にたとえることができます。「ろくろ」に置かれる粘土のように、私たちも毎日の生活の中で神の御手によって神のみこころにあったものとして形作られていくのです。
  • 細心の注意を払い、巧みに形造られたそれぞれの器は、最後の仕上げとして、つまり円熟(完成)させるための最終テストに入ります。それは窯に入れて焼くことです。火は粘土を陶器に変えます。私たちの人生においても火が必要なのです。
  • 神はエレミヤに陶器師の家に行くように命じたのは、神がイスラエルの民に対して造り直し、かつ、火を通して完成させる主権者であることを伝えるためでした。

2. 実に恐るべきことを行なったおとめイスラエル

  • 「実に恐るべきことを行なった」と神が断罪するその内容は何でしょうか。それは以下の三つのことです。
    (1) エルサレムを偶像礼拝で満たしたこと (特にマナセ王は大々的にそれを行ないました)
    (2) 神のことばを聞こうとせず、かつ、悔い改めようとしないこと
    (3) 神のことばを伝えるエレミヤを暗殺しようとしたこと
  • 特に、18章18節に目を留めたいと思います。

    【新改訳改訂第3版】
    彼らは言った。「さあ、私たちは計画を立ててエレミヤを倒そう。祭司から律法が、知恵ある者からはかりごとが、預言者からことばが滅びうせることはないはずだから。さあ、舌で彼を打ち、彼のことばにはどれにも耳を傾けまい。」

  • かつては同郷のアナトテの仲間たちによる脅迫がありましたが、ここではユダの人々がひそかにエレミヤを暗殺しようとの陰謀がありました。そのことを「まことに彼らは、私のいのちを取ろうとして穴を掘った」(18:20)とエレミヤは表現しています。詩篇にもこの表現は多くてできます。ユダの人々は、エルサレムには公職としての「祭司」「知恵のある者(賢者)」「預言者」たちがおり、彼らはエレミヤがいうような危機が訪れることをなにも語っていませんでした。だから大丈夫と高を括っていたのです。だから「彼のことばにはどれにもみ耳を傾けまい」としていました。それはエレミヤを召した神に対抗することであり、エレミヤの孤立感もよくわかります。御子イエスの姿と重なります。
  • これらの「恐るべきこと」のゆえに、神は、ユダの人々を「陶器師の器が砕かれると、二度と直すことができない。このように、わたしはこの民と、この町を砕く。」と言われるのです(エレミヤ19:11)。そして新しく再生しようと計画しておられるのです。
古代の陶器.PNG
  • 使徒パウロは神の主権性を次のように表現しています。
    「陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。」(ローマ9:21)
  • このことを踏まえながら、私たちはイザヤが語った以下のことばをもって主の御手の中に託したいと祈ります。

【新改訳改訂3】イザヤ書 64章8節
【主】よ。今、あなたは私たちの父です。
私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。
私たちはみな、あなたの手で造られたものです。


2013.2.20


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