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過去完了形

時制法(6) ギリシャ語の過去完了形とその例

はじめに

  • 「過去完了形」を「大完了形」という言い方もあります。ギリシャ語の文法書では新約聖書中に過去完了形が用いられることはほとんどないと記されていますが、二つ見つけました。それはルカの福音書8章26節~39節にある「悪霊につかれていた人がいやされる」箇所です。
  • ひとつは29節にある「捕える」という動詞「スナルパゾー」συναρπάζω、もうひとつは38節の「出て行く」という動詞「エクセルコマイ」ἐξέρχομαι(新改訳では受動態的に「追い出された」と訳していますが)です。興味深いことに、ある人のうちに全く対照的なことが起こってしまっていたのです。ここでは前者のみを取り上げてみたいと思います。

【新改訳改訂第3版】ルカ 8:29
「それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕らえたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。」


【口語訳】ルカ 8:29
「それは、イエスが汚れた霊に、その人から出て行け、とお命じになったからである。というのは、悪霊が何度も彼をひき捕えたので、彼は鎖と足かせとでつながれて看視されていたが、それを断ち切っては悪霊によって荒野へ追いやられていたのである。」


【新共同訳】ルカ 8:29
「イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。


【エマオ訳】ルカ 8:29
「それは、イエスがその汚れた霊にその人から出るようにと命じられたからであった。幾度も幾度もその霊が彼を捕らえてしまったことがあった。(その度に)人々は彼を保護しようとして、彼を鎖と足かせで縛りつけたのだが、彼は鎖を引きちぎって、いつも悪霊によって荒野に追いやられていた。」

  • 新共同訳は「この人」を主語にして、動詞を受動態に訳してますが、原文の主語は「汚れた霊」(悪霊)であり、動詞は能動態、過去完了、3人称単数です。
  • ここで使われている「捕えた」と訳された動詞は「スナルパゾー」συναρπάζωで、力をもって捕える、無理矢理つかまえる、ことを意味します。
  • 「過去完了形」とは、過去のある時点ですでに行動が完了してしまっている時に用いる用法です。ですから、訳としては「(すでに) ~してしまっていた」というニュアンスになります。ですから、ルカ8:29の直訳は「汚れた霊(悪霊)がすでにこの人を力づくて無理矢理捕らえてしまっていた」です。
  • 「現在完了形」は過去の動作(行為)によって引き起こされた結果が、現在にまで及んでいる状態を表わす視点が強調されるのに対して、「過去完了形」の場合は話者の視点が過去にあり、それまでの過去の動作によって引き起こされた結果が過去のある時点までに及んでいる状態を表わそうとしています。エマオ訳はここを「(幾度も幾度も)その霊が彼を捕らえてしまったことがあった」と訳しています。

    画像の説明

  • つまり、イエスによって解放された人は、過去においてすでに悪霊の強い力によって捕えられてしまっていたのです。それゆえに、彼は鎖や足かせで縛られていた(未完了)にもかかわらず、それを断ち切っては悪霊によって荒野に繰り返し追いやられていた(未完了)のです。そのような人が、イエスが汚れた霊に「この人から出て行け」と命じたことによってはじめて解放され、正気に戻ったのです。
  • まさに悲惨な人生、だれも助けることのできないほどに束縛されてしまった絶望的な人生が、一瞬にして、その束縛から解放されたとはなんと感動的なことでしょうか。実に、これはイエスのあわれみであり、ルカの福音書のテーマである「解放」(アフェシス)の福音そのものといえます。Thank you, Jesus!! です。
  • ちなみに、力をもって捕えることを表わす動詞「スナルパゾー」συναρπάζωは、ルカの特愛用語です。ルカだけが使っている語彙なのです。他に、使徒6:12、19:29、27:15の3箇所に使われています。

  • 過去完了形の他の例としては・・・・

(1) ヨハネの福音書 9章22節
「すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである。」の「決めていた」・・直訳的には「すでに追放しようと決めてしまっていた」となり、すでに結論を出した上での尋問であったことが分かります。

(2) 使徒の働き 1章10節
「イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。」の「そばに立っていた」・・直訳的には「すでに彼ら(弟子たち)のそばに立ってしまっていた」(直訳だと日本語としては不自然ですが、弟子たちが二人の存在に全く気づいていないことが良く分かります。少々ユーモラスな感じさえします。)

(3) ヨハネの福音書 7章37節
「さて、祭りの終りの日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。・・・』」
の「立って」の動詞が過去完了形です。祭りの終りの日に、イエスは人々に大切なことを語ろうと、待ち構えるようにして立っていた様子がうかがえます。

2011.10.27


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