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詩6篇の修辞

詩6篇の修辞

「私の骨」という比喩(暗喩)

  • 「主よ。私をいやしてください。私の骨はおののいています。」(6:2b)

1. 「人の存在そのもの、全存在」としての「骨」

  • 詩篇6篇にある「骨」という表現、文字通りには、人間や動物のからだを支えている「骨」を意味しますが、詩6篇でいう「骨」は、メタファーとして使われています。それは「人の存在そのもの、全存在」を意味します。この用法は旧約の「知恵文学」(ヨブ記、詩篇、箴言、伝道者の書)に多く用いられています。

(1) ヨブ記

  • 「サタンは主に答えて言った。『・・・彼(ヨブ)の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。』」(2;4, 5)
  • 「おそれとおののきがわたしにふりかかり、わたしの骨々は、わなないた。」(4:14)

(2) 詩篇

  • 「私の力は私の咎によって弱まり、私の骨々も衰えてしまいました。」(31:10)
  • 「私のすべての骨は言いましょう。」(35:10
  • 「あなたの憤りのため、私の肉には完全なところがなく、私の罪のため、私の骨には健全なところがありません。」(38:3)
  • 「私に敵対する者どもは、私の骨々が打ち砕かれるほど、私をそしり・・」(42:10)
  • 「私に、楽しみと喜びを聞かせてください。
    そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。」(51:8)

(3) 箴言

  • 「それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。」(3;8)
  • 「穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。」(14:30)

(4) 伝道者の書

  • 「あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。」(11:5)
  • ちなみに、「骨、エツェムעֶצֶם」の動詞「アーツァム」עָצַם(`atsam)は、本来、「強くする」、「数多くする」という意味ですが、エレミヤ50:17では「骨まで食らいつく」「骨を粉砕する」というように表現されています。その「骨」とはイスラエル全体を完全に打ち砕くことを意味しています。

2. 「親密な関わり」としての「骨」

  • 「骨」のもう一つの重要なメタファー的表現は、「肉」という言葉を伴いながら(「骨肉」)、家族、親族における親密な関わりを表わします。
  • 創世記2:23,24の「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女(イッシャー)と名づけよう。これは男(イーシュ)から取られたのだから。それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」がそうです。
  • 人は最初から孤独な存在として造られてはおらず、交わりをもつ存在として造られました。つまり、対等なパートナーがいなくては本来の有り様を実現出来ません。「向き合うべき存在」として、神は人のあばら骨から女を造られましたが、「あばら骨」とは男と女の一体性を強調する表現です。人はひとりでいるのは「よくない」、そんな孤独にピリオドを打ち、ふさわしい助け手を見出したとき、男が喜びに包まれて叫んだのが、「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。」という言葉でした。男と女との間には、そのような親密な連帯が生じています。その連帯とは、男が父と母から離れて、「ふたりは一体となる」ほどに、強く引き合う力なのです。
  • 同様の用法が以下にも見られます。
    「ラバンは彼(ヤコブ)に、『あなたはほんとうにわたしの骨肉です。』と言った。」(創世記29:14)
    「イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。『ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。』」(2サムエル5:1、1歴代11:1)

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