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詩38篇/B

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瞑想Ps38/B

  • 詩篇38篇は、タイトルの「記念のためのダビデの賛歌」とは裏腹に、とても暗く重い内容の詩篇です。作者は「らい病」(現代は「ツァラート」あるいは「ハンセン病」)を患って、あらゆるかかわりー親族や友などーから疎外された者のように思えます。かつて、日本でも、らい病者を社会から完全に隔離し、戸籍から抹消した時代がありました。また、子どもを産めないようにしました。今ではこうした行政が誤っていたことを政府も認め、彼らに対して補償する時がきましたが、彼らの受けた心の傷はそう簡単には癒えることはないと思います。
  • 旧約時代においても、らい病人は社会から隔離されていました。人々はこの病を神の怒り、罪に対する怒りとしてとらえていたようです。すべての親族とのかかわりを切られ、存在の否定、疎外、孤独を余儀なくされました。11節では「私の愛する者や私の友も、私のえやみを避けて立ち。私の近親の者も遠くたっています。」とあるように、すでに社会から疎外されている状況を思わせます。
  • 「ベン・ハー」という映画がありますが、主人公のベン・ハーの母と妹が、この病にかかり、死の谷というところで隠れるように生きていることを彼が知ったという場面があります。しかし、彼がイエスと出会って憎しみから解放されたとき、彼の母と妹のらい病もいやされました。
  • 14節の「まことに、私は耳が聞こえず、口で言い争わない人のようです。」とは、隔離されている状況と同時に、絶望せざるを得ない中で、「それは私があなたを待ち望んでいるからです」という一縷の望みを主においている姿が見えます。そして、「私を見捨てないでください。主よ、わが神よ。私から遠く離れないでください。急いで私を助けて下さい。」と祈っています。
  • 新約の福音書では、共通して、全身ツァラートの人がイエスに近づく記事を記しています。するとイエスは、深くあわれんで、手を伸ばして、その者をさわり、「わたしの心だ、きよくなれ」と命じ、すぐにその病が癒されています。だれも触れようとしなかった者にイエスが御手を触れられると、奇蹟が起こりました。らい病(ツァラート)のように、自分ではどうすることもできない運命を背負った者の祈りが、必ずや、神に届きます。なぜなら、「ほむべきかな」、私たちの神は、慰めと希望の神だからです。
  • 病いに対する旧約時代の人々の受けとめ方は、現代のキリスト者の中にもあるかもしれません。病は自分の犯した罪の結果だと。確かにそういう面もあるかもしれませんが、そうしたとらえ方だけでは説明のつかないことが数多くあります。ヨブは、すべてのわざわいの結果が、罪のゆえだと決めつけてしまう友人たちの考え方に対して反論しています。すべての結果の原因を明らかにしようとする私たち人間に対して、必ずしもそうではないこと、人間には分らな いことが多くあるのだということを受け入れるようにというのがヨブ記のメッセージです。この事実を知るならば、神とのかかわりにおいて大きな広がりが与えられてくるように思えます。

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