****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩篇を通して聖書の歴史観を学ぶことー歴史から何を学ぶかー

59. 詩篇を通して聖書の歴史観を学ぶこと(歴史から何を学ぶか)

  • 神の一般啓示は自然だけでなく、歴史を通しても現わされています。世界の歴史を見ると、一時は隆盛を誇った大帝国は、決して永遠不滅ではなく、滅んでいます。聖書の舞台となっている中東においても、エジプト帝国、アッシリア帝国、バビロン帝国、ペルシア帝国、ギリシア帝国、ローマ帝国といった国が次々と起こりましたがすべて滅びました。新しい国が興っては滅んでいくという戦いの繰り返しが、歴史の中に起こっているのを私たちは知っています。
  • 歴史物の映画やドラマを見ると分かるように、一国の興亡の歴史の中に、権力をめぐっての骨肉の争い、暗殺、復讐、憎しみ、金に対する貪欲さ、不正、裏切りといった際限のない人間のドロドロとした罪の現実を見せられます。
  • 長い世界の歴史の中で戦争のなかった時代はほとんどないそうです。戦争、それは殺し合いです。科学や教育が発達した今日でも殺し合いは続いています。むしろ、技術の発達した今は、昔よりももっと残酷な殺し合いになっています。なぜ戦争がなくらないのか。それは、際限なく闘争を欲するDNAが、特に男性の中にはあるからだ、という人がいます。どんなに平和を願ったとしても、戦争はなくならないようです。
  • 日本の歴史において、戦国時代に貧民から頭角を現わして天下統一を成し遂げた豊臣秀吉、まさに戦国一の出世頭と評された秀吉。しかし彼の時世の句は、なんと、「露と落ち、露と消えにし わが身かな 浪速のことは 夢のまた夢」でした。織田信長の後継者としての地位を得て、浪速(今の大阪)に自分の城を築いた秀吉でしたが、彼の夢は空しいバブルとなって消えたのです。歴史はこうした人間の欲望の空しさを露呈しながら、実に長い時間をかけて、神の歴史支配の確かさを啓示しています。
  • 神の救いの担い手として選ばれたアブラハム、その彼がその生涯において得たものはわずかでしたが、アブラハムに対する神の真実は、彼の子孫を通して貫かれていくのを私たちは聖書を通して知ることができます。これは驚くべきことです。神とアブラハムとの契約ーそれはすべての民が彼によって祝福されるという神の約束であり、神はこの約束を「永遠の契約」として保たれ、実現されます。どんなに神の民が神に対して、そむき、裏切り、背信したとしても、この契約は神の真実によって破棄されることはないのです。それが神の歴史です。
  • ある人は、歴史、すなわち英語のヒストリー(History)を、His story と分けて、歴史とはHis story なのだと言いました。ここでのHis とは神のことです。つまり、歴史とは神のストーリーなのだと。世界の歴史を見ると、たとえ人間の罪がどんなに深くても、どんなに神に反逆していても、目には見えませんが、神は世界を支配し、歴史を導いて、神の最終の目的に向かわせています。聖書はそうした歴史観によって記述されています。詩篇の作者たちは、過去の出来事ではなく、自分たちの将来に向けた歩みを見据えるために、歴史をふり返って記述し、神を待望しているのです。特に、詩篇78篇、105篇、106篇、107篇はその代表と言えます。

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