詩篇に見る礼拝はきわめて能動的である
36. 詩篇に見る礼拝はきわめてアクティヴ(能動的)
- 詩篇に見る神への礼拝は常に能動的です。しかし、今日の多くの礼拝は受身的です。礼拝は単に出席すれば良いのではなく、もっと能動的に自らをささげる行為でなければならないと思います。能動的な礼拝がささげられるためには、賛美も祈りもそれを表現する実際的な訓練が必要とされます。共同体の礼拝も、個人の礼拝も、ひとりひとりが自分のことばで神を賛美し、神に祈ることができるならば、神への礼拝は力を持ち、神の臨在は満ち溢れると信じます。礼拝には絶対的な型というものはありません。礼拝の目的にふさわしい型をそれぞれが自ら求め続けることが必要です。そのためにも、みことばの瞑想こそ、この種の訓練として重要なものと私は考えています。