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表題 エレミヤのプロフィール

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1. 表題 エレミヤのプロフィール

【聖書箇所】 1章1節~3節

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書 1章1節~3節

1 ベニヤミンの地アナトテにいた祭司のひとり、ヒルキヤの子エレミヤのことば。
2 アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに【主】のことばがあった。
3 それはさらに、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代にもあり、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの第十一年の終わりまで、すなわち、その年の第五の月、エルサレムの民の捕囚の時まであった。


ベレーシート

  • わずか3節分だけの瞑想です。この箇所にある情報から何を瞑想したらいいのか戸惑いますが、瞑想力をつける意味ではふさわしいテキストです。聖書を読むときに全体の脈絡から切り離して、単に自分の心にふれることばだけを捜し出して味わっているだけでは、聖書の中にある隠されている神のドラマのさまざまなかかわりを見つけ出すことはできません。ある意味において、みことばの瞑想はある情報と他の情報とのかかわりを探りながら、そこに隠されている神の不思議な導きや必然性などを味わうことです。とはいえ、何よりも優先すべきことは神と自分とのかかわりをしっかりと構築することですが、同時に、神のご計画のうちにあるかかわりの秘義にふれるためには、聖書のさまざまな情報を得なければなりません。それによって、瞑想はより楽しく感じられるようになります。
  • ここでは預言者として召されたエレミヤの出生地と素性、およびその活動期間、そしてエレミヤ書に特徴的な語彙について思いを巡らしてみたいと思います。

1. 「アナトテ」という寒村

  • エレミヤの出生地はエルサレムから北東約5キロの距離にある「アナトテ」(「アナートート」עֲנָתוֹת)という寒村です。「寒村」と言っても寒い村という意味ではなく、「貧しく寂しい村」という意味。それはエレミヤの心理に何らかの影響を与えているように思います。そして、その彼がやがてエルサレムにいる多くの人々に神のことばを語るのです。
  • エレミヤは祭司の家系に生まれながら、預言者として召されました。聖書の中に、同じく祭司職の家系でありながら預言者としての働きをした人物として、モーセ、サムエル、エゼキエル、バプテスマのヨハネの名をあげることができます。祭司の家系はいうならば伝統を守る保守的な家系です。しかし預言者は反対です。伝統にとらわれることなく常に革新的です。預言者と祭司とは全く異なる特色を持っているのです。
  • 「アナトテ」はベニヤミン族の領地にあるレビ人の町のひとつです。他にギブオン、ゲバ、アルモンといった3つの町がありますが、聖書地図で確認できるのは「アナトテ」と「ギブオン」くらいです。「ギブオン」の地は、かつてダビデの時代には「モーセの幕屋」が置かれていた場所です。エルサレムでは「ダビデの幕屋」と言われる賛美を中心とした新しい礼拝スタイルがなされていましたが、ギブオンでは従来の動物のいけにえを中心とした伝統的な礼拝がなされていました。ダビデはそこへ、賛美リーダーとしてエマンとヘマンの二人を遣わしています。ソロモンの時代になって、ダビデの目指してきた賛美を中心とするダビデの幕屋礼拝と従来型のモーセの幕屋礼拝が総合するかたちで「ソロモン神殿」が造られます。
  • 「アナトテ」の地からすばらしい祭司が出ています。それはダビデ王朝の主任祭司として、ダビデの台頭とその王朝成立の立役者となった「エブヤタル(新共同訳は「アビヤタル」。「エブヤタル」(אֶבְיָתָר)は「残された者の新芽」という意味)です。ノブの祭司アヒメレクがダビデを助けたという理由で、サウルはアヒメレクの一族を虐殺した際、ただ一人難を逃れてダビデのところに身を寄せた人物がエブヤタルでした。まさに彼は「残された者の新芽」としてダビデの祭司となり、神意を伺う者となりました(Ⅰサムエル23:8~12、30:7~8)。
  • エブヤタルはダビデをずっと支えてきた祭司でしたが、王位の継承をめぐってアドニヤを擁立しようとして失敗し、王位を継承したソロモンによって祭司職を罷免させられ、アナトテに追放されてしまったという経緯(いきさつ)があります。そのようなわけで、アナトテは祭司職を継ぐ者にとっては不名誉な地でした。エビヤタルの過失の重荷を負った流れの中に、祭司エレミヤがいたのです。
  • ちなみに、エレミヤの名前の意味は「主は高められる」という意味であり、彼の父「ヒルキヤ」は「主は分け前である」という意味です。「残りの者の新芽」という意味を持つ「エブヤタル」は落ちぶれの身となりましたが、「ヒルキヤ」と「エレミヤ」という名前の中に神のあわれみを感じさせます。というのも、エレミヤは人生の悲哀を経験した者として共感できる何かを持っているからです。
  • ベニヤミンはヤコブの最愛の妻ラケルの二番目の息子でしたが、産んだ後に亡くなります。自分の子を残して死にゆくことを知った母ラケルはその子の名前を「ベン・オニ」(「悲しみの子」という意味)と名づけましたが、父のヤコブは「ベニヤミン」(南の子、右の子)という名前に改名します。エレミヤはラケルの心情を理解することのできた人物でもありました。このことについては、以下を参照

2. エレミヤ書における特徴的な語彙「ダーヴァール」

画像の説明
  • エレミヤ書においてきわめて特徴的な語彙があります。それは「ダーヴァール」דָּבָרという名詞です。旧約聖書では1454回ですが、頻度数としてはエレミヤ書が207回と最も多いのです。次は列王記第一の128回、列王記第二の108回、申命記95回、エズラ記の82回・・・です。
  • 名詞の「ダーヴァール」(דָּבָר)は、動詞の「ダーヴァル」(דָּבַר)、あるいは強意形ピエル態の「ディベル」(דִּבֶּר)から派生したもので、その根本的な意味は「背後にあるものを前へ駆り立てる」ことです(ボーマン著「ヘブライ人とギリシヤ人の思惟」、植田重雄訳、新教出版社、1957年、102~109頁参照)。つまり名詞の「ダーヴァール」(דָּבָר)は言葉と行為)を併せ持った語彙で、「言行」とも訳せます。単なる言葉だけでなく、行為を伴った言葉であるゆえに「出来事」という意味にもなります。換言すると、「前へと駆り立てられて」「語った」、その「言葉」が「行為」となって現われる、そしてそれが「出来事」となります。これはヘブル語の原語が持っている特有な性格です。

画像の説明

  • 主の語った「言葉」(ダーヴァール)は、命令となり、約束となり、威嚇となり、戒めとなり、慰めとなった行為を伴う概念です。それゆえ「ダーヴァール」は、神ご自身の最高の示現形態と言えるのです。それゆえ、神の民はその「ダーヴァール」に耳を傾けなければならなかったのです。

3. エレミヤが活動した時代

  • ところが神の民は、神の語られる「ダーヴァール」を軽く考えていたのです。エレミヤが神の「ダーヴァール」を語った時代は、ヨシヤ王の治世の13年目(B.C.627年)から、ゼデキヤの治世の11年目(B.C.587年)のエルサレム陥落とバビロン捕囚の数年後までの約40年余りにわたっています。イスラエルの歴史において、最も悲劇的な最後の部分を生き抜いた預言者でした。
  • ちなみに、エレミヤ書1章2~3節にはユダの三人の王の名前(ヨシヤ、エホヤキム、ゼデキヤ)が記されていますが、実際は五人の王がいます。しかしそのうちの二人(エホアハズ、エホヤキン)は、三か月という短い在位であったために、その名前が省略されています。
  • この時代は強大なアッシリアの勢力が衰微し、バビロンの勢力が台頭してくる動乱の時代でした。そうした時代背景の中で、神の民は何が真実なのか、何が真実でないのか、それを見分ける必要がありました。しかし人々は偽預言者の言葉を信じて「大きな門」から入り、「大きな道」を通って滅びへと向かって行きました。いのちに至る門はいつも彼らの傍にあったにもかかわらず、大勢の人々はそれを見出すことが出来ませんでした。預言者エレミヤの語ったことばこそ、「いのちに至る門」「いのちに至る道」そのものだったのです。

2012.12.28


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