聖なる山シオンは神にとって特別な山であることを知ること
38. 聖なる山ーシオンは神にとって特別な山であることを知る
- 私の趣味は山登りです。山登りの楽しみはその準備からはじまっています。山の地図を広げながら、どこの山をターゲットにするか、どのルートで、どのくらいの時間で(自分の身体の許容内で)、といった計画を立てるところからはじまります。そして何よりも気になるのが天候です。昔、7時間かけて登り、山の頂上についた時には、ガスで全く周りの景色が見えず、昼食も霧の中。何のために登って来たのかわからないという悔しい思いをしたことがあります。帰りもルートを示す矢印を捜すのに困難を覚えるという怖い経験を思い出します。それでも、また山に行きたくなるのです。この思いはどこから来るのでしょうか。
- しかし最近、もし「どの山に登りたいですか?」と尋ねられたとしたら、普通の山ではなく、「聖なる山、神の都エルサレム」と答えます。私はまだ一度も訪れたことがないのですが、是非とも行きたいところです。エルサレムについて知れば知るほど、その地への思いは募るばかりです。なぜなのでしょうか。聖なる郷愁を彷彿とさせられるのです。
- かつて、神はイスラエルの民に、過越の祭り、ジャブオット(七週の祭り=ペンテコステ)、スコット(仮庵の祭り)を祝うために、年3回エルサレムへ上るように命じられました。それゆえ、この町エルサレムは各地から人々が押し寄せました。イエスの時代、祭りの時のエルサレムの人口は、平常時のおよそ6倍にまで膨れ上がったといわれています。これは今日においても変わっていません。ユダヤ人も、クリスチャンも、毎年、祭りの時期に主を礼拝するために、世界中からエルサレムにやってくるのです。その目的は、神の律法(トーラー)を学び、主を喜ぶためです。また神が自分たちのために何をしてくださったかを思い起こすためです。特に、キリストの再臨の時には、世界中の神の民が主を礼拝するためにエルサレムへと上り、共に主を祝うようになります。エルサレムはまさに神の救いの計画において中心的な場所であり、世界の中で最も重要な場所なのです。詩篇にはシオン賛歌と呼ばれるものが多数あります。シオンを全面的にたたえる詩篇として最初に登場するのが詩48篇です。
- 聖なる山、エルサレムを慕う思いは強まるばかりです。神は神を愛する者の心の中に「シオンへの大路」(詩84篇)をおいてくださる方だと信じます。「ああ、永遠の都エルサレム、ああ、わがたましいの故郷シオン・・・」