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第二次伝道旅行 (8) エペソ

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30. 第二次伝道旅行 (8) エペソ(最終地)

【聖書箇所】 18章18節~28節

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ベレーシート

  • 使徒の働き18章18節以降には、コリントを後にして、ケンクレヤで髪をそり、その後でエペソへ行き、そこから船出してカイザリヤ、エルサレムへと上り、教会に挨拶をしてから宣教のスタート地点であるアンテオケに戻っています。そこにしばらくいてから、パウロは第三次伝道旅行へと出発したことが18章23節に記されています。
  • 第二次伝道旅行でパウロがエペソに行ったときに、アクラとプリスキラも同行してエペソに行きますが、そこでパウロと別れることになります。エペソに滞在したプリスキラとアクラはそこで、はからずも、雄弁で学識豊かなアポロと出会います。この出会いはとても意味のある重要な事柄を私たちに伝えているように思います。

1. 聖書に通じていた雄弁なアポロというユダヤ人

  • 「アポロ」、原語では「アポッロース」(απολλως)。アレキサンドリヤ生まれとあります。エジプト北部にある地中海に面した文化都市、世界最古の図書館のあった学問都市です。離散したユダヤ人も多く、彼らのために70人訳聖書が作られたのもこの都市でした。使徒の働き2章10には「エジプトとクレネに近いリビア地方などに住む者たち」がエルサレムに来て、救われたユダヤ人がいたことを伝えています。
  • 使徒パウロの出身地タルソも実はアレキサンドリヤに並ぶ文化都市、学問都市であったと言われています。そして使徒パウロから直々の指導を受けたローマから来ていたプリスキラとアクラ夫妻と旧約聖書に精通していたアポロとの出会い、つまりローマ、および二つの学問都市の出身者というだけでなく、旧約聖書のエキスパートの出会いとも言えるのです。
  • 「雄弁な」(「ロギオス」λόγιος)とは「学識が豊かな、博学な」という意味で、新約聖書ではここの箇所しか使われていません。「この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていた」とあるように
    (18:25)、アポロは「主の道」を教えるためにエペソに来ていたのです。彼は「主の道の教え」を教授され、しかも「霊に燃えて」「イエスのことを正確に語り、教えて」いました。「イエスのこと」とはどういうことでしょうか。それは、おそらく、「イエスの語ったことばや行いについて」語る事ができたということだと思います。彼はただ「ヨハネのバプテスマだけを理解して」いたとあります。これはどういうことでしょうか。アポロはイエスがメシアであることは理解していたと思われます。その意味も正確に教えられ、また自分でもそのことを霊に燃えて教えていたのです。しかし、それはバプテスマのヨハネが語ったメッセージは、イエスとは表面的には同じに見えても、本質的には全く異なるメッセージなのです。というのも、バプステマのヨハネの「悔い改め」には「自分の罪を告白して、水のバプテスマを受ける」だけでなく、「悔い改めにふさわしい実を結ばなければ、さばかれる」というものでした。

2. 真理にオープン・マインドだったアポロ

  • しかしアポロが会堂で大胆に話していたとき、そこで聞いていたプリスキラとアクラは、彼の語る話の中にまだ欠けていることに気づきました。プリスキラとアクラはアポロを家に招き入れて、「神の道」をもっと正確に、より詳細に説明したのでした。
  • 「招き入れて」と訳されたことばは「プロスランバノー」(προσλαμβάνω)で、「脇へ引き寄せる、接待する、受け入れる、仲間とする」という意味で、おそらく、公衆の面前ではなく、個人的に、脇へ引き寄せて、あるいは自宅に連れて来て、彼の欠けた部分について詳細に説明したのでした。
  • アポロのいう「主の道」とプリスキラとアクラ夫妻のいう「神の道」がどのように違うのか、それを意味する説明はありませんが、おそらく、使徒パウロが啓示された奥義の内容かもしれません。ルカは見解の相違があることを示すために、あえてこのような表現をしたものと思われます。学識豊かな、博学なアポロに対して、プリスキラとアクラ夫婦がより正確に、しかも詳細に説明したことは驚きです。それができたのも、プリスキラとアクラ夫婦が直接使徒パウロからの指導を受けていたからだと思われます。また、驚かさせれることは、雄弁で学識豊かなアポロが、彼らの言うことばに心と耳を傾け、しかもその後に自分の聖書理解を修正したという点です。つまり、アポロは真理に対して、謙虚にそれを受け入れる柔らかな心を持っていたということです。
  • ただでも雄弁なアポロが、ひとたび真理の奥義を握るならば、より大きな力となります。28節にはそのことを記しています。

    【新改訳改訂第3版】使 18:28
    彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。

  • 「イエスがキリストであること」、これこそが初代教会の重要な信仰告白であり、「福音」であったのですが、そのことを聖書(旧約聖書)によって証明し、イエスをキリスト(メシア)として受け入れないユダヤ人に対してアポロは次々と論破するようになったのです。ここで使われている「論破する」という動詞「ディアカテレゴーマイ」(διακατελέγχομαι)はこの箇所にのみ使われています。「熱心に、懸命に論駁する」ことを意味します。
  • アポロはプリスキラとアクラ夫妻の助けによって、キリストの福音を論証する者となっただけでなく、コリントの教会でパウロの同労者としての働きをするようになりました。そのことを、パウロは「私が植えて、アポロが水を注ぎました。・・植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って、自分自身の報酬を受けるのです。私たちは神の協力者で・・す」と述べています(Ⅰコリント3:7~9)。

3. パウロの働きを支えたパートナー

  • 今回の聖書の箇所内で触れて置く必要のある事柄があります。それは、パウロの宣教の働きにおいて、良きパートナーが与えられているという恵みです。そうした存在はパウロにとってどんな大きな慰めでしょうか。第二次伝道においてそうしたパートナーとなった者たちを列挙してみると、
    (1) ルステラでは「テモテ」
    (2) トロアスでは「ルカ」
    (3) ピリピでは「ルデヤ」(リディア)
    (4) コリントでは「プリスキラとアクラ夫妻」
    (5) エペソでは「アポロ」
    (6) ケンクレヤでは「フィベ」
  • ローマ書16章1~2節で、パウロは「ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベをあなたがたに推薦します。どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。」と紹介しています。おそらくこの「フィベ」が、パウロの手紙をローマにいる兄弟姉妹のもとに届けた姉妹だと思われます。
  • 良き同労者、良きパートナーは神からの贈り物です。そのような人々によってパウロの宣教の働きは実を結んで行ったのです。


2013.7.18


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