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立派な生き方を示すこと(2)

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3. 立派な生き方を示すこと (2)

ベレーシート

  • Ⅰペテロ2章12節にある「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。」という命令は、人の立てたすべての制度に、主のゆえに従うということです。特に、ローマ社会は奴隷たちによって支えられていた国家であり、奴隷たちの身分は家畜と変わりませんでした。善良でやさしい主人もいれば、横暴で、理不尽な主人もいたのです。しかし、そうした主人に対しても「従いなさい」というのがペテロの勧めでした。その理由は、「善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだから」(15節)であり、「善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることだから」(20節)というものです。つまり、この世において徹底して「従うこと」が強調されているのです。キリストはその模範を示されたからだとしています。
  • 「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。」という命令は、「善を行う」という表現で言い換えられています。3章は妻に対して、夫に対して、そしてほかのすべての者(クリスチャンたち)に対しての勧めがなされています。

1. 妻に対して、夫に対しての勧め

  • 3章1~12節は、妻に対しても、夫に対しても、そしてすべての者に対しての勧めです。

(1)「妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。」

  • この命令には、「たとい、みことばに従わない夫であっても」とあります。その意図は、「妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるため」です。これは、2章のしもべたちに対する命令と同じであるために、冒頭に「同じように」と記されています。どんなことも恐れないで「服従する」という善を行なうことが勧められているのです。そして、むしろ積極的な勧めとして「柔和で穏やかな霊という人がらを飾りとすること」を勧めています。

(2)「夫たちよ。自分の妻を敬いなさい。」

  • 夫たちに対しては、「自分の妻を尊敬しなさい」と命じられています。「自分よりも弱い器だということをわきまえて」と訳されています。「わきまえて」と訳されている箇所は「知識に基づいて」という意味です。ペテロは使徒たちの中で唯一妻帯者であることから、女性のことがよく理解できたという経験に基づく知識からという意味ではありません。この知識とは、目に見える経験的なものではなく、人が男と女とに造られたという神の秩序に基づく知識と考えられます。それゆえ「妻とともに生活すること」を命じています。
  • 「知識に基づいてともに生活する」(ともに住む)、「ともに受け継ぐ」という「ともに」には一体性という深い意味が隠されています。愛における共同性、あるいは対等性が「ともに」という言葉に表現されています。それゆえ夫は妻を尊敬しなければならないのです。結婚は神のご計画における「奥義」です。したがって、この「奥義」と「祈りが妨げられる」とには、密接な関連があると考えられます。

2. 結びの勧め

  • 3章8~12節は、2章11節~3章12節の結びの勧告とみなすことができます。8節の「最後に申します」という言葉がそのことを裏付けています。同時に、この最後の勧告は、3章13節以降に記されている「迫害に対処する序言」ともなっているのです。

【新改訳改訂第3版】Ⅰペテロ3章8~12節
8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。
9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、
11 悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。
12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」


●9節後半からは、「あなたがたは祝福を受け継ぐために召された」ということを基礎づける論拠を、旧約を引用する形で記されいます。

●8~9節前半には六つの勧告がなされています。これは2章13節~3章7節で語られた勧告の要約しています。六つの勧告のうち、先の三つ(「心を一つにし」「同情し合い」「兄弟愛を示し」)はキリスト者相互における倫理であり、後の三つのうち二つ(「あわれみ深く」「謙遜であり」)は一般的な人間関係における倫理、そして残りの一つ(「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい」)は敵対者に対する態度について記されています。

●10~11節は、8~9節の旧約から引用した言い換え表現であり、12節はその生き方に対する神からの保証と言えます。「主の目」「主の耳」「主の御顔」が指し示しているのは、「主の目」と「主の耳」が主の細心の配慮を示しいるのに対して、「主の御顔」は悪を行う者に向けられる威力を示しています。


3. 迫害に対する態度

  • 3章13節から「迫害に対する基本的態度」が示されています。それは苦難に対する励ましともいえます。ずてにイェシュアは「山上の説教」で以下のように語っておられました。

【新改訳改訂第3版】マタイの福音書5章10~12節
10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

  • 使徒ペテロもイェシュアが語られた言葉を自分の言葉で以下のように表現しています。イェシュアもペテロも、迫害という火の試練に備えさせるために、語り、そして書き記したのです。

【新改訳改訂第3版】Ⅰペテロの手紙4章12~13節
12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。

  • 迫害に対する訓戒としては、

第一に、「彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけない」ということです。「彼ら」とは迫害者のことです。

第二に、「心の中で主をあがめる」ということ。心の中でと言われているのは、主をあがめるということが単なる口先のことがらではなく、その人自身の真実な態度からのものであるべきだからです。もし、人がイェシュアを「主」とあがめるならば、地上的なあらゆる権威と脅威から解放されて、自由にされるからです。

第三に、「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれでもいつでも弁明できる用意をしている」ということです。ペテロがここで「希望」ということばを用いているのは、「救い」のことを「希望」と言い換えているからです。ペテロは1章3節ですでに「生ける望み」について語っています。これは「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」(1:4)のことであり、「終わりの時に現わされるように用意されている救い」(1:5)のことです。これらはすべて同義です。つまり、「生ける望み」について弁明できるためには、それが自分のものとなっていなければなりません。それを「優しく」「慎み恐れて」「正しい良心をもって」弁明しなければなりません。


●「優しく」とあるのは、信仰による不当な迫害を受ける場合、どうしても相手の非を攻撃しようとする敵対意識が強くなるためです。「慎み恐れて」(慎み深く)とあるのは、人に対する敬意のゆえです。そして「正しい良心をもって」とは、神の前に立っているという明確な意識を持つことを意味しています。福音の弁明において重要なことは「誠実さ」、つまり、sincerity なのです。


2016.10.18


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