****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

神の道は隠されていて見えないが、確かにあることを知ること

52. 神の道は隠されていて見えないが、確かにあることを知る

  • 私たちは、あまりに悲しい辛い経験をすると、何も考えることができずに衝動的になってしまったり、あるいは、一つのことが頭の中を繰り返し駆け巡って客観的にものごとを考えることができなくなったりするものです。詩篇の作者たちもそのような経験をしています。しかし彼らのすばらしさは、そのような中で自問自答し、神を瞑想していることです。そしてやがて希望の光を見出していることです。これは決してやさしいことではありませんが、詩篇があらゆる時代と文化を超えて多くの人々に受け入れられてきた魅力の理由がここにあると信じます。詩篇は、失敗し挫折した人生を、もう一度、神とともに新しく創造し、回復していくすばらしい「道しるべ」です。神の愛のまなざしの招きの中に自らを置きながら、ゆっくりと、いやしと回復の時を待ち望むのです。
  • ある人は「忙しさの不毛に用心せよ」と言っています。私たちは人生のほとんどの時間とエネルギーを目に見えることに使って自分の世界を築きあげようとしています。しかし内側の世界が無視される時、やがて何かが崩れます。私たちは活動的であればあるほどしっかりしていると思い込んでいます。しかしそれは幻想にすぎません。やがて突然、自分の足元の地盤沈下を経験することになります。私たちの内側の世界は、霊的なものであり、目には見えない性質を持っています。その部分で私たちは物事を決断し、価値判断をします。詩篇の作者たちは内側を養うことが最優先であることを知っていました。それゆえ、私たちも、ひとりになって静かに神を思い巡らすときが必要なのです。

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