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神の視座から見渡すこと

23. 神の視座から見渡すこと


  • 詩篇の作者たちの視座の広さ、そのスケールの大きさには驚かされます。というのは、全世界(人間界、自然界)だけでなく、全宇宙(星々や太陽)、そして天界(神のおられる御座)、そのすべてを見渡すことのできる視座から神を賛美しているからです。私の信仰の先輩に登山家がいました(彼はすでに天に召されてしまいました)。彼はネパールのヒマラヤの山々を何度も登った人ですが、その彼が山の上から眺めた時、なんと人間が小さなことにこだわり、争ったり、悩んだりしていることかと言っていました。狭い、限られた空間と時間から解放されて、神の視座から考えるなら、ものごとがかなり変わって見えるようになるのです。
  • 1世紀の終わりに、迫害のためにパトモス島に島流しにされたイエスの弟子ヨハネが、ひとりで礼拝しているときに彼は天の光景を見せられました。地上でどんなことがなされていたとしても、やがては神の救いは勝利に終わり、御使いや大勢の人々が御座の前で主を礼拝しているのを見せられたとき、彼は励ましを受けました。そして、やがて確実にもたらされる主の救いの勝利を当時の人々に伝える者となりました。その内容がヨハネの黙示録です。
  • 神は永遠であり、すべての世界は神を出発点としています。「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。」(ローマ11章36節)と言ったパウロは壮大な神の救いの歴史的視座を神から与えられた一人だと思います。そして、その視座はすでに詩篇の作者たちにも与えられていたということが驚きです。視座の広さ、その空間と時間のスケールの大きさにふれること、また、そうした視座をもってすべてを見る眼が養われること、これこそ詩篇の瞑想の醍醐味のひとつではないかと思います。

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