****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

神の慰めとしての「力」(1)

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103. 神の慰めとしての「力」(1)

【聖書箇所】 イザヤ書40章29節

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【読み】
ーン ラヤーーフ コッハ ウーレーン オーーム オツー ヤル

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
【口語訳】
弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。
【新共同訳】
疲れた者に力を与え/勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
【岩波訳】
疲れた者に力を与え、活力を失っている者に、活気をつける。
【中澤訳】
倦んだ者に力を与え、疲れはてた者を活気づける。
【NKJV】
He gives power to the weak, And to those who have no might He increases strength.
【NIV】
He gives strength to the weary / and increases the power of the weak.

【瞑想】

使徒パウロは「気落ちした者を慰めてくださる神」について記しています。コリントの教会において、自分が使徒として認められず、誤解されていたパウロはかなり気落ちしていたようです。信頼関係を築けない中で教会を建て上げることは出来ません。することなすことに多くのストレスを抱えることになります。これまでの働きが徒労に終わるような思い、それは生きる力を喪失させます。しかし、遣わしていたテトスが戻って来て、コリントの教会の人々が悔い改め、パウロを受け入れたことを知った時、パウロは慰められたと語っています。それはまさに水を得た魚のように、生きる力を再び得たのです。

「力」は神の属性であり、神は疲れた者に力を与えることを喜びとされる方です。苦難の中にあって生きる力を喪失している者に、立ち上ららせる力、精力と活気をもたらす力、それは一回限りの、あるいは散発的なものではなく、絶えず与え続けられる力なのです。創造者である方は、「精力に満ち、その力は強い」(イザヤ40:26)とあります。このフレーズの「精力」は「オーン」(אוֹן)、「力」は「コアッハ」(כֹּחַ)です。永遠の神は「疲れることなく、たゆむこと(疲れ果てること)のない」方です(40:28)。ここの「疲れる」は「ヤーアフ」(יָעַף)、「たゆむ(疲れ果てる)」は「ヤーガア」(יָגַע)というヘブル語動詞が使われ、それがここでは否定されています。

どんな若者も疲れ、たゆみます。若者は活動的で、力があり、さまざまな働きをすることに適しています。しかしそんな彼らであっても、やがては疲れ、その力は尽き果てます。近年、「燃え尽き症候群」ということばが使われるようになりましたが、生真面目で、頑張り屋な者たちが生きる気力を喪失してしまうという心の病です。生きることに疲れ、自信を失い、生きる希望を失っている者たちが多く潜在しているのが現代です。そのような時代に生きる彼らに、生きる力を与え続ける方がおられることは大きな慰めです。なぜなら、主なる神は無限の力を持っておられるからです。

【付記】
楽譜「ナハムー ナハムー アンミー」


2013.6.1


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