****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

神の導きの確証 (1)

文字サイズ:

15. 神の導きの確証 (1)

【聖書箇所】 10章1節~43節

ベレーシート

  • タイトル名を「神の導きの確証(1)」としたのにはね理由があります。それは、使徒の働きの中にこれからも神の導きを確証させる出来事が記されているからです。10章には、ユダヤ人のペテロが敬神者といえども異邦人の百人隊長の家を訪れたことは、ユダヤ人の側からすると大変な出来事だったのです。その大変な出来事の背景に不思議な、しかも確かな神の導きがあったことをルカは多くのことばを使って強調し、記録したのです。それは、神の導きが決して独りよがりなものではなく、第三者にも分かるような具体的な証拠(あかし)があることを教えるためです。

1. 人種的な隔ての壁を乗り越えされる「アニステーミー」

  • 翻訳文では分かりませんが、原文で見ると、「立ち上がる」を意味する復活用語の「アニステーミ」άνιστημιが三か所に使われています。そこには単なる「立ち上がって」という動作の意味を越えた、新たな神の導きの一歩を意味する霊的な「アニステーミ」(すべてアオリスト)なのです。先ずはその語彙が使われている箇所は以下の通り。

【新改訳改訂第3版】
10:13
そして、彼に、「ペテロ。さあ(άνιστημι)、ほふって食べなさい」という声が聞こえた。
10:20
「さあ(άνιστημι)、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」
10:23
それで、ペテロは、彼らを中に入れて泊まらせた。明くる日、ペテロは、立って(άνιστημι)彼らといっしょに出かけた。ヨッパの兄弟たちも数人同行した。

  • ここに使われている「アニステーミ」は、これまで考えられなった新しいことが起こりつつあるのです。ペテロはまだそのことを知らずにいるのですが、まさに神のみわさがこれから始まろうとする復活的行動なのです。神の定めた規則を、あるいは既成概念を打ち破って新しいことを神がばじめようしているその促しを「アニステーミ」という言葉で表しています。「さあ」と訳されたことばには、そのような復活の出来事からもたらされる行動が促されています。

2. 「統合型」といえる神の導きのパターン

  • 神の導きのパターンのひとつに「統合型」があります。それは全く会い知れない者たちが、それぞれ神の導きに従った行動したとき、そこにはじめてそれが神の導きであったことが確証されるパターンです(脚注)
  • 私たちが信仰生活を送った行こうとするとき、さまざまな思いや志といったものが心に生まれてきます。そして志や思いがが自分の思い込みではなく、確かな神の導きであると確証するためには、聖書に記されている具体的な神の導きの方法を謙虚に学んで、その原則を自分に当てはめるのです。そうするならば、ひとりよがりの神の導き(妄想)に陥ることはなくなります。
  • ここでの「統合型」では、異邦人のコルネリオと使徒ペテロにそれぞれ個別に導かれます。

コルネリオ

(1) 祈りの中で御使いがコルネリオに現われ、「ヨッパに人を遣わして、シモンという人を招きなさい。この人は皮なめしのシモンという家に泊まっているが、その家は海辺にあります。」と伝えた。

(2) ペテロが到着すると歓迎して、御使いに語られたを伝えた。そして、「いま、私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。」と語った。

使徒ペテロ

(1) 昼の祈りの時に、ペテロは夢うつつの中で幻を見た。その幻の中でペテロは、主が「きよくない裳の汚れた物を立ち上がってほふって食べよ」という声を聞いた。「主よ。そればできません。」「神がきよめた物を、きよくないと言ってならない」というやり取りが三度なされた。そのあとに、カイザリヤのコルネリオから遣わされた三人の者が訪ねてきた。

(2) ペテロは翌朝、彼らとともにカイザリヤへ出かけた。そしてイエスの福音を語った。


3. 使徒ペテロの語ったメッセージ

  • ペテロは使徒の働きの中で5回のメッセージが記録されています。今回の箇所はその第五回目です。それぞれ状況も対象も異なるにもかかわらず、語った内容は同じです。しかも10章のそれは他の四つのメッセージの要旨をすべて含んでいます。そのメッセージの格子を見てみましょう。

(1) 神の祝福の挨拶
「神は片寄ったことをなさらず、分け隔てなく、どの国の人であっても受け入れてくださいます。」-この祝福の挨拶はユダヤ人のペテロにとっては心情的には容易なことではなかったのですー

(2) ナザレのイエスはメシア(キリスト)であるという宣言

(3) 十字架につけられたイエスは三日目によみがえられたという宣言

(4) イエスを信じる者はだれでも罪の赦しが受けられるという宣言


むすび

  • 双方に対する神の導きによって、ペテロの話を聞いたコルネリオとその関係者の上に聖霊が下り、信仰による賜物(異言)が与えられました。そこでペテロはイエスがキリストであることを信じた人々に洗礼を授けたのです。ここに異邦人がユダヤ人に改宗することなく、そのままでユダヤ人と同じ救いが与えられたのです。

脚注

神の導きには、統合法の他に以下のパターンがあります。
(1)条件型・・①アブラハムの息子イサクの嫁さがしに出かけたしもべエリエゼルに対する神の導きです(創世記24章)。②ミデアン人と戦うために召されたギデオンに対する神の導きです(士師記6章36節~40節)。
(2)消却型・・①イスラエルの最初の王サウルの後の王を選ぶときの神の導き。エッサイの子で羊を飼っている末っ子ダビデが神に選ばれた。七人の兄からは選ばれなかった。②パウロの第二次伝道旅行で御霊が禁じるという方法で一つの方向が示された(使徒16章)。
(3)総合型・・統合型とは異なり、使徒16章10節に見られるように、それまでのすべでのことを全体的に、総合的に考慮した結果として神の導きを確信するという型。


2013.4.4


a:8179 t:2 y:3

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional