****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

神が王であるというイメージを正しく持つこと

57. 神が王であるというイメージを正しく持つこと

  • 詩篇の中では、神をしばしば「王」として受けとめられています。私たちにとって王というイメージは人によって異なります。専制君主的なイメージが強い人の場合には、王である神を恐い存在と思ってしまうでしょう。しかし聖書における神の「王としてのイメージ」は少なくとも次の四つの面を持っています。
  • 最初のひとつは、「主権をもっている」ということです。主権とは支配するということです。王というのは最高の権力を持ち、すべてを支配する能力を持っているというのが王の務めです。
  • 第二は、「正しいさばきをする」ということです。悪い者がいつまでものさばっているのを許しているようでは、王の権威にかかわります。「これは正しい、これは間違い」と判断して、間違っている者は罰せられ、正しい者はそれなりの報いを受けます。だれにも影響を受けることなく、正しい審判が下せる権威を王はもっていなければなりません。
  • 第三は、「自分の民を絶対的に守る責任を持っている」ということです。どんな敵に対しても勝利できる王でなければ安心できません。聖書にはイスラエルの王である神にのみ信頼するならば、どんな敵に対しても勝利できるという例がいくつもあります。その反対に、その王に背くならば、なんの勝利も得られないことが明かしされています。
  • そして最後は、「自分の民に必要な物を豊かに供給し、祝福を与えることができる」ということです。ただ単に敵から防衛してくれるだけではなく、民が一番必要としているものに答えることのできる方でなければなりません。これらが、聖書の言わんとする王のイメージです。専制君主的なイメージとはほど遠いものです。

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