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礼拝用語Ps94

詩94篇「静かに待つ」 שָׁקַט シャーカト

(カテゴリー: 信頼)

13節「その人は、苦難の襲うときにも静かに待ちます。」(新共同訳) 
You grant him relief from days of trouble (NIV)

Keyword; 「静かに待つ」 quiet, still, grant relief, 76:8,/83:1/94:13

  • シャーカトשָׁקַט(shaqat)を、新改訳では「平安を賜る」と訳しています。その場合は主体が神であるの対して、新共同訳では「静かに待つ」と訳して主体を人としています。前者で考えると恩寵用語と考えることができますが、後者で考えると礼拝用語となります。これは決して矛盾ではなく、ひとつのかかわりの表と裏の表現です。二つを総合すると、神が「平安を賜る」ので、その人は、たとえどんな苦難が襲ってきたとしても、「静かに待つ」ことができるということです。この「静かに待つ」ことができるということこそ、私たちの霊性においてとても重要なことだと信じます。
  • 関根訳には各詩篇にタイトルが付記されています。ちなみに、「復讐の神、主よ。・・地をさばく方よ。」ではじまるこの詩94篇のタイトルが、なんと『神との親しさ』となっています。この詩編の12、13節にその鍵がありそうです。新共同訳で見てみると、「いかに幸いなことでしょう。主よ。あなたに諭され、あなたの律法を教えていただく人は。その人は苦難の襲うときにも静かに待ちます。神に逆らう者には、滅びの穴が掘られています。」とあります。
  • 「平安を賜る」、「静かに待ちます」と訳されたシャーカトשָׁקַט(shaqat)は、どんな困難や災いの日にあっても、平安が与えられて、黙って、静かに、沈黙を守る、鎮まる、という意味です。旧約で41回、詩篇では3回のみ使われています。しかもそうしたことができる人とは、「主に戒められる(懲しめられる)者」であり、主の「みおしえ(律法)を教えられる者」だとしています。主の「みおしえ(律法)を教えられる者」とは、神に愛され、神に喜ばれる者、あるいは、神を愛し、神を喜ぶ者と言い換えることができます。そうした者はどんな中にあっても主を信頼することを学び、その結果として、平安を与えられ、静かに主を待つことができるのです。しかも、そうこうしているうちに、敵は墓穴を掘って自滅するという原理も付け加えられています。私たちが敵に対して打ち勝つことができるのは、神がくださる武具を身につける時です。特に、頭にかぶる「救いのかぶと」(エペソ6章17節)は「神との親密さ」を意味します。恵みの信仰に裏付けられたこの神との親しさこそ、私を敵から守ってくれる神の武具です。
  • 最近、2002年に作られた賛美“You Raise Me Up”を聞きました。とても励まされる歌です。「打ち伏し、弱り果てるとも、重荷につぶされるとも、なお今(ここで)、静かに待ち望む、あなたのみ救いを。You raise me up 高く引き上げてくださるあなたの愛、あなたの支えがあれば、私は強くなれる。」(意訳―拙者)という内容の歌です。


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