礼拝用語Ps17
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詩17篇 「満ち足りる」 שָׂבַע サーヴァ
〔カテゴリー感謝〕
15節「しかし、私は・・・目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」(新改訳)
15節「しかし、私はそのようなこと(=神に敵対する者たちが地上の宝を大事にし、すべてがうまくいっていること)に関心はなく、あなたを仰ぎ見ることで心は満足します。」(尾山訳)
Keyword; 「満ち足りる」satisfy
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- 神の御姿に「満ち足りる」(新改訳、口語訳、新共同訳)と訳されたサーヴァ(שָׂבַע)は、詩篇ではこの箇所だけです。多くは、食べることで満ち足りるという意味で使われています。91篇16節、107篇9節では、主が「満ち足らせる」方として使われています。つまり、主がすべてのことにおいて満ち足らせて下さる方であるゆえに、「私は、満ち足りる」ことができるのです。
- バプテスマのヨハネがイエスについてこう言いました。「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。」(ヨハネの福音書3章29節)と。
- イエス・キリストが最後の晩餐の時に、弟子たちに語った言葉(訣別説教)の中で、「わたしに、わたしのことばに、わたしの愛の中にとどまりなさい」と語られました。それは「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです」(ヨハネ15章11節)と。イエスの喜びとは御父に愛されていることでした。その同じ喜びで満たされる秘訣を弟子たちに語られました。弟子たちに待ち受けていることは、自分たちの師であるイエスが捕えられることで、イエスを裏切り、イエス自身も十字架につけられてしまうという事態が待ちうけていました。しかし、イエス「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。」(同、16章20節)と言われました。
- 使徒パウロも「満ち足りる」ことを学んだと述べています。ピリピ4章11節の「学んだ」ということは、さまざまな苦しみの環境の中で、なにものにも代えがたい主から来る喜び、平安、また、必要なものはすべて神が備えて下さるという経験をしたという意味です。それゆえ、愛弟子テモテに対しても「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」(テモテ第一、6章6節)と書き送ることができたのだと思います。
- 私たちにとっても「満ち足りる」ことを学ぶ必要があります。もう一度、主イエスのことばを思い起こすべきです。「わたしにとどまりなさい。」日毎に、そうするならば、詩17篇の作者と同じように、「私が・・目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう」と言える者になると信じます。