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礼拝用語Ps143

詩143篇 「身を隠す」 כָּסָה カーサー

(カテゴリー:信頼)

9節「主よ。・・・私はあなたの中に、身を隠します。」
9節 O Lord, for I hide myself in you (NIV)

Keyword; 「身を隠す」 身を避ける、御手にゆだねる、hide, covered, 32:15/40:10/44:15, 19/55:5/69:7/78:53/80:10/85:2/104:6, 9/106:11,17/143:9/147:8

  • ダビデが敵に追い詰められたとき、その状況の中でどこに自分の心を向けたか、それが詩143篇のポイントです。この詩篇には多くの祈りの用語(瞑想用語)と決意をあらわすことばが並べられています。その中でも神の中に「身を隠す」ということが全体を包括する動詞として際立っているように思います。「身を隠す」と訳された「カーサー」(כָּסָה)は、本来、覆われること、包まれることを意味します。それが身を避け、身をゆだねるという意味にもなっています。旧約では152回、詩篇では17回使われています。「神の中に身を隠す」とは「隠遁」を意味しますが、それはいわば余儀なくされたものでした。
  • ドイツのマリア姉妹会を立ち上げたバジリア・シュリンクは、預言者エリヤがアハブ王に神のことばを進言してから3年余りの間、身を隠すようにと主から命じられたように、彼女も奇蹟的な聖堂の建設を終えた後、主によって孤独の中へと導かれました。彼女は社交的で活動的な典型的人物でしたが、神は彼女を隠遁へと召されたのです。彼女は当初神の意図を理解することができませんでした。しかし、やがてその隠遁生活から、現代における預言的な著作が数多く生み出されました。隠遁生活とは、主の前にひとりになることであり、イエスにとどまり、完全にゆだねることです。イエスと共にかつて経験したことがないほどに多くの時間を過ごすことです。そのことを主ご自身が望まれたのだと彼女は述懐しています。
  • 追い詰められた状況の中で、詩143篇の作者は主の中に「身を隠す」(כָּסָה)ことによって主を「信頼し」(בָּטַח)、主を「仰ぎ」(נָשָׂא)、主に向かって「手を広げ」(פָּרַשׂ)ながら、これまでの主とのかかわりを「思い出し」(זָכַר)、主のなさったひとつひとつのことを「思い巡らし」(הָגָה)、「静かに考え」(שִׂיחַ)ました。その結果、作者は主の恵みのことばを豊かに「聞き」(שָׁמַע)、自分の生きるべき道を、行くべき道を「知り」(יָדַע)、主のみこころを「学ぶ」(לָמַד)ことができたのです。それゆえ、この詩篇のタイトルが「賛歌」であることにうなずくことができます。
  • この作者は、敵に追い詰められ、霊は萎え果て、心が挫けたという危機的な経験を通りながら、信仰による自己認識(Identity)が一段と深まったように思います。その自己認識とは、自分が「主のしもべである」との自覚と主に愛されているという自信に満ちた自覚です(2, 12節)。こんな自覚と自信を、主とくびきを共にすることで培われたいものです。

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