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礼拝用語Ps141

詩141篇 「身を避ける」 חָסָה ハーサー  

(カテゴリー:信頼)

8節「私の主、神よ。まことに、私の目はあなたに向いています。
私はあなたに身を避けます。私を放り出さないでください。」

Keyword; 「身を避ける」 逃げ込む、避け所とする、寄り頼む take refuge, 
2:12/ 5:11/7:1/11:1/16:1/17:7/18:2/18:30/25:20/31:1,19/34:8, 22/36:7/37:40/57:1, 1/61:4/64:10/71:1/91:4/118:8,9/141:8/144:2

  • 「身を避ける」と訳された「ハーサー」(חָסָה)は、旧約で37回、そのうちの25回が詩篇で使われています。まさにこの動詞は詩篇特愛と言えます。その意味は「主のもとに逃げ込む、主に身を避ける」という意味です。139~145篇の表題は「ダビデの・・」ですが、ダビデの霊性が色濃く表出されている詩篇といえます。ダビデの霊性の真骨頂は「神への信頼」です。
  • 詩141篇8節では、前行の「私の目はあなたに向いています」という表現と「私はあなたに身を避けます」という表現は同義です。というのは、主イエスが「からだのあかりは目です。それでもしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければあなたの全身は暗いでしょう。」(マタイ6章22節)と言われたように、「目」は全身、全体を表わすからです。その目が神に向けられるときこそ、身を避けること、すなわち、神に信頼している姿です。
  • この詩篇では、悪に誘い込もうとしている者たちが作者を取り巻いています。そうした状況の中で、作者は自分の心が悪いことに向かないように、また好餌の誘惑から守ってくれるようにと嘆願しています。そして意識的に目(自分の存在)を主に向け、主の中に逃げ込もうとしています。ここにダビデの霊性の特徴が見られます。
  • 8節の最後の分節にある「放りださないで」アーラー(עָרָה)の否定は聖書によって訳が実にさまざまです。

    「私を放り出さないでください。」 (新改訳)
    「私の魂をうつろにしないでください。」(新共同訳)
    「わたしを助けるものもないままに捨ておかないでください。」(口語訳)
    「わたしをさらしものにしないでください。」(フランシスコ会訳)
    「わが魂を空にしないでください。」(岩波訳)
    「わが魂を裸のままにしないでください。」(関根訳)
    「私の魂をほろぼされるな。」(バルバロ訳)

  • これらの訳を並べてみると、悪に誘い込もうとしている者たちにふりまわされるとどのような結果がもたらされるか想像できます。魂がうつろで、さらしものにされ、空(empty)にされ、裸にされて放り出されてしまったような感覚になったとしたら、自ら立つことさえできません。そうならないようにと作者は祈っています。
  • 詩篇73:28にも「私は、主なる神のうちに私の避け所を置いた。」とあるように、どんなときにも、主のうちに避け所を置くこと、主に目を(存在のすべてを)向けるというライフスタイルを確立することの大切さを教えられますが、これは一朝一夕にしてはできません。信頼は、主の訓練の中でじっくりと育てられる必要があります。

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