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礼拝用語Ps118

詩118篇「(主の御名によって)断ち切る」מוּל ムール

(カテゴリー:信頼)

10節「すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。」

Keyword; 「断ち切る」 cut off, destroy, 118:10, 11, 12

  • 「断ち切る」と訳された「ムール」(מוּל)、旧約で31回、詩篇では詩118篇にのみ使われている動詞です。しかも詩篇118篇では、3度(10, 11, 12節)使われています。関根訳では「滅ぼす」、フランシスコ会訳では「打ち砕く」とも訳されています。
  • 「ムール」(מוּל)は、創世記17章でアブラハムが神との契約を交わしたしるしとして「割礼を施す」ことを意味します。この「割礼を施す」に際して、包皮を「切り捨てる」(cut off)のですが、この「ムール」が使われています。また、無割礼の者は民から「断ち切られ」なければなりませんでした。この場合にも「ムール」が使われます。詩118篇では「主の御名によって、断ち切ろう」とあります。自分を取り囲む敵に対して、「主の御名によって断ち切る」とは、チェーン式バイブル(新改訳)では「神への信頼によって、逆境を乗り越えようとする決意を示す」と説明されています。具体的にはどういうことでしょうか。
  • 詩118篇にある「ムール」(מוּל)は、「すべての国々が私を取り囲んだ、彼らは鉢のように、私を取り囲んだ」状況の中で、作者は「主の御名によって、彼らを断ち切ろう」と宣言しています。ここでは敵に取り囲まれていますが、詩篇の中には敵に取り囲まれる場合だけでなく、神の民は神の愛や恵みによって取り囲まれてもいるのです。大切なことは、二つの現実があることを知ることです。どんなに多くの敵によって取り囲まれたとしても、それ以上に、神の恵みが、神の愛が大盾のように私たちを取り囲んでいる天的現実があることに気づくことです。そのことによってはじめて「主の御名によって、(地的現実を)断ち切ることができるのです。
  • 詩篇において、恩寵としての「取り囲む」サーヴァヴסָבַבの箇所は以下の通りです。
    32:7「あなたは、私の隠れ場、あなたは私を苦しみから守り、救いの歓声で私を取り囲まれます。」
    32:10「主に信頼する者には、恵みがその人を取り囲む」
  • イエス・キリストの生涯の最後は、ゆえもなく敵によって侮られ、中傷され、憎しみのことばで取り囲まれました(109:3)。しかしキリストはどんな敵の残酷な仕打ちにもひるむことなく、最後まで御父を信頼し、御父への従順を貫くことによって、私たちの罪の完全な贖いのいけにえとなってくださいました。それを成し遂げようとするイエスのまわりにはいつも御使いが取り囲み、イエスを力づけました(マタイ4:11、ルカ22:43)。これは私たちにも言えます。「主の使いは、主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される」(34:7)と約束されているのです。原語は異なりますが、Ps 3:6/5:12も「私の回りを囲む盾」「大盾で囲むように、愛で囲まれます」と訳されています。
  • 使徒パウロは他の人々から、彼は狂っていると称されました。「だとすれば、キリストの愛が私たちを取り囲んでいる(スネコーσυνεχω)からだ」(コリント第二5:14)というのがパウロの言い分でした。まさにこれが彼の存在とすべての働きを支えていたものでした。スネコー(συνεχω)は「強いる、強要する、有無を言わせない」という意味ですが、以下の訳を見る限り、強制ではなく、自分がそうしたいのだという内なる衝動と理解することができます。

柳生訳 「われわれはキリストの愛によって圧倒されている。」 LB訳  「確かに、私たちは何をするにしても、自分の利益を求めるのではなく、キリストさまの愛に動かされてしているのです。」 フランシスコ会訳「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを虜にしているからです。」
NIV訳  For Christ love compels us.

  • 詩篇瞑想の目的は、まさに私たちの心の内がキリストの愛によって駆り立てられること、神の愛の迫りに、神の恵みの取り囲みに気づかされることでもあります。この気づきによってはじめて、主イエスの御名によって、敵の取り囲みを断ち切ることができるのです。

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