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礼拝用語Ps111

詩111篇 「感謝する」 יָדַה ヤーダー

(カテゴリー:感謝・賛美)

1節「ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。」
1節  I will praise the Lord with my whole heart. 

Keyword; 「感謝する」 praise,

  • この詩111篇の冒頭には、「私は心を尽くして主に感謝しよう。」という主に対する偉大な誓約が宣言されています。「感謝しよう」と訳されたヤーダーיָדַה(yadah)は、英語ではpraiseと訳されています。praiseは「賛美する」、「感謝する」とも訳されます。
  • 2節以降から最後まで、感謝すべき「主」が、どのようなお方であるかが述べられています。そこには主の本性である「聖」、そして、王としての「尊厳、威光(majesty)」、「偉大さ」、神の「善」、「義(正義)」、「公正」、「さばき」、「真実」、「恵み(あわれみ)」「知恵」、「永遠(不変性)」といった神の属性が記されています。
  • 1節の中にある「心を尽くす」ということばは、原意は「心にあるすべてをもって」ということです。「心」とは、「知性」「感情」「意志」を司る部分です。つまり、知性をもって神を知ること、神を知ることによって伴う心の喜び、そして義務や強制からではなく自意による意思をもって口に出すことーなどをすべて含みます。これらすべてをもって、私は、主に感謝(賛美)しよう。
    I will praise, オデー ・アドナイ אוֹדֶה יְהוָה と宣言しているのです。
  • 「心を尽くす」ということばは、詩篇の中には10回(新改訳)出てきますが、そのうちの6回は詩119篇にあります。それはとても意味あることです。なぜなら、詩119篇の作者はブロークン・ハート(broken heart)を経験しており、その辛い、恥辱の経験からはじめて「心を尽くす」生き方がはじまったからです。そして作者は、神を知るための瞑想を深めました。みことば(神の律法)を拠り所として、神を知ることを追い求めました。その結果、「みことばは私の喜びです」と告白するようになったのです。
  • 感謝というと、何かをいただいたことへのお礼の程度と考えている人がいますが、ここでいう感謝とは、自分の存在が全知全能の神の恵みによって生かされ、その恵みの連続によってーたとえ平凡な生活の中にあってもー支えられているということへの気づきです。
  • ある人は言いました。「歌は、歌うまでは歌ではなく、愛は表現されるまでは愛ではなく、祝福も感謝するまでは祝福ではありません。」と。感謝の生活も、日々、心を尽くして感謝し続けることによって築き上げられます。それは多くの人に大きな影響を与えます。どんな小さなことでも感謝できる生き方はそれだけで驚きです。なぜなら、実に多くの人々が現状に感謝することなく、不平不満とつぶやきを持って生きているからです。そこには何ら良い実を期待することはできません。普段から、どんな小さなことにも感謝して生きることを心がけるならば、感謝で終える人生が約束されていると信じます。

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