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礼拝用語Ps109

詩109篇「貧しい(者)」 אֶבְיוֹן エヴヨーン

(カテゴリー:その他)

31節「主は貧しい者の右に立ち、死を宣告する者たちから、彼を救われるからです。」

Keyword;「貧しい」―形容詞 poor, needy, 9:18/12:5/35:10/37:14/40:17/49:2/69:33/
70:5/72:4, 12, 13/74:21/82:4/86:1/107:41/109:16, 22,31/112:9/113:7/132:15/140:12

  • 31節に「貧しい」と訳された形容詞「エヴヨーン」(אֶבְיוֹן)は、しばしばもう一つの形容詞「アニー」(עַנִי)とワンセット(35:10/37:14/40:17/70:5/86:1/140:12参照)で用いられます。詩109篇では16節と22節とにそれが見られます。22節には「私は悩み(עַנִי)、そして貧しく(אֶבְיוֹן)、私の心は、私のうちで傷ついています。」とあります。前者のアニー(עַנִי)は、英語(NIV)ではpoorと訳され、後者のエヴヨーン(אֶבְיוֹן)はneedyと訳されています。いずれも貧しさを表わすへブル語ですが、後者の方は極貧を表しています。このように、二つの言葉が使われることで「貧しさ」がより強調されています。
  • 詩109篇は「呪いをかける」という表現形式でいわれのない悪意に対する神の復讐を求めています。モーセの律法の中の申命記15章には神の福祉理念が記されていますが、それによれば、隣人に対する負債を七年毎に免除し、取り立ててはならないことが命じられています。そのことによって神の民たちの中に貧しい者がいなくなるはずでした。しかし、イスラエルの歴史(特に、北王国)をみるとそれが守られることはなかったようです。異教徒との同盟関係において繁栄していくプロセスの中で社会の貧富の格差が次第に大きくなり、詩109篇に描かれているように、「貧しい者たち」が踏みつけられ、見捨てられ、さらに貧しさの度合いがよりひどくなっていきました。預言者アモスはそのことで指導者たちを叱責しています。アモス2:7, 5:12, 8:4参照。
  • この詩篇で注目したい点は、
    (1)作者自身が「悩む者、貧しい者」だと自覚していること、
    (2)その圧迫の現実から助け出してくれるように神に嘆願していること、
    (3)その結果、主はその貧しい者の祈りを聞いてくださったことの感謝と賛美がつづられていることです。
  • イエスは「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものです。」と言われました。また、ナザレの会堂で聖書を朗読したとき、「主の御霊が貧しい人々に福音を述べ伝える主のしもべにある」という聖句を選らばれました。ここにある「貧しい」とはギリシア語で「プトーコス」πτωχοςという言葉ですが、もともと「縮こまる、うずくまる」という「プトーッソー」
    πτωσσωから派生した形容詞です。普通の貧乏ではなく、差し迫った窮乏を意味します。
    この「プトーコス」の背後にはへブル語の二つの形容詞、עַנִיאֶבְיוֹןがあります。(W・バークレー著―滝沢陽一訳『新約聖書ギリシア語精解』1970、日基出版を参照。)
  • 私たちが、自分が貧しい者であることを知ることは容易ではありません。「貧しい心」とは、自分が無力な者であることを徹底的に悟り、神の恵みの豊かさという富を与えられた者を意味します。今も、私たちの主は私たちの右手に立ってとりなしておられます。

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