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瞑想Ps78/B

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瞑想Ps78/B

  • 2節「私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。」
  • 「たとえ話」とは、神とイスラエルのかかわりの歴史のことです。それを通して「昔からのなぞ」ーそのかかわりの神秘にいて作者は語ろうとしています。
  • 詩78篇のように、神とのかかわりを「歴史化」している詩篇は他にもみられます。たとえば、44篇、89篇、105篇、106篇、107篇などがそうです。「歴史化の試み」は常に今日的危機感から生まれてくるものと思います。つまり、これからどのように生きるべきか、その指針をこれまでの歴史から学ぶという姿勢です。
  • ちなみに、ヘブル語では「過去」を意味する言葉は文字どおりには「前」を表わし、「未来」を意味する言葉は「背後」を意味します。つまり、『後ろ向き」の状態です。常に、過去を「前」において、これまで自分たちを導いてこられた神はいかなる方であるかを見直すことによって、はじめて、「背後」にある未来を神にゆだねることができたのです。「ゆだねる」とは転がすことです。すべてを自分の力によつて成し遂げていこうとする現代の考え方とは全く異なります。
  • タイトルに「アサフのマスキール」とあります。「マスキール」(מַשְׂכִּיל)を教訓と考えることが多いのですが、それはマスキールのもとになっている動詞がサーハル(שָׂכַל)であるとするならば、その意味するところは「悟る」」という意味です。その悟りの内実は「失敗から悟る」ということになります。
  • 神とイスラエルのかかわりにおける歴史は、常に、民の失敗の歴史です。そのことがこの詩篇では繰り返し語られています。これは「たとえ」ですから、なんとイスラエルの民は情けないのかと思ってはならないのです。それは私たちが神とかかわりを持つ場合の「たとえ」となっているからです。ですから、使徒パウロはコリント人への手紙10章で次のように述べています。

    「これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。」(6節)

    「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(11~13節)

  • 歴史化の試みー過去におけるイスラエルの失敗に満ちた苦い経験は、それが人々によってはっきりと記憶される時、それはお金では絶対に買えない貴重な富となります。また、その記憶が持続され、後の世代にも語り継がれるとき、それは民族にとってかけがえのない遺産となります。それは今日に生きる私たちに対する「たとえ」ともなり、尊い霊的遺産となっているのです。

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