瞑想Ps141/A
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瞑想Ps141/A
- 詩141篇のキーバースを5節の「正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭に注がれた油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。」としたいと思います。この祈りは、詩篇の中でもユニークな祈りの一つですが、とても大切な知恵を与えてくれます。LBの訳はとてもわかりやすいです。「神様を敬う人のきびしい忠告は、親切心から出たものです。非難されたように感じても、結局は薬となるのです。ですから、拒絶反応を示しませんように。」と訳されています。
- いつも神に目を向けている者は、同時に、人の忠告や叱責に対しても心を開く柔らかな心を持っているものかもしれません。自分が神の声を聞こうとしているので、人からの忠告には関心を払わないという頑なな心では、成熟したかかわりを築くことはできないのかもしれません。
- 真理に対しても、人の忠告にも、常に、オープン・マインドが求められています。ただ、問題なのは、果たして、自分に対して、真の親切心をもって、愛情をもって、忠告してくれる真の友をもっているかどうかです。しかし、今、そのような友をもっていなくても、友を得ることは可能です。それは、自分に対する厳しい忠告、叱責を尊いものとして受け入れることです。
箴言27:6
「憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つける方が真実である。」
箴言25:12
「正しい批判を聞くのは、勲章をもらうようにありがたいものです。」