瞑想Ps138/C
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瞑想Ps138/C
- 「ダビデによる、ダビデの」という表題がついたまとまった詩篇が8篇、138~145篇にあります。この8篇には共通するテーマ、あるいは特徴は何かを考えながら瞑想することで何かが見えてくると思いますが、一つの私の推定では、神に愛されたという意味を持つ「ダビデ」という名前が表題につくときは、そこにダビデの霊性が色濃く出ている詩篇と推察してよいのではないかと考えます。ダビデの霊性とは何か。それはダビデの信仰が常に神のゆるぎない恩寵によって支えられていること、そしてその神の恩寵に対するダビデの礼拝のあり方が非常に豊かであるということです。それは一つの詩篇の中にある礼拝用語と恩寵用語を抽出することによってわかります。
- 詩篇138篇の神の恩寵用語を取り出してみます。
①「(みことばを)高く上げられた」(2節)
②「答えられた」(3節)
③「(たましいに力を与えて)強くされた」(3節)
④「(低い者を)顧みてくださる」(6節)
⑤「生かしてくださる」(7節)
⑥「(御手を)伸ばす」(7節)
⑦「救ってくださる」(7節)
⑧「(私にかかわることをすべて)成し遂げてくださる」(8節)
- 一方、その恩寵に対する応答としての礼拝用語は以下の通りです。
①「感謝します」(1節、2節)
②「ほめ歌を歌います」(1節)
③「ひれ伏します」(2節)
④「呼ぶ」(3節)
⑤「聞く」(4節)
- このようにダビデの霊性は、常に神の恩寵に支えられてことがわかります。ダビデはいろいろいな面をもった人物ですが、結局のところは彼が礼拝者であったということに尽きます。どんなときにも、どんなところを通されたとしても、神の恩寵に目が開かれることがすべての力の源泉であることを知ります。
- 138篇3節に「あなたは・・私のたましいに力を与えて強くされました」とありますが、「強くされた」と訳されているヘブル語は「ラーハヴ」רָהַבで、旧約で4回、詩篇においてはここ138篇だけです。箴言6:3、雅歌6:5、イザヤ3:5では「高ぶる、無礼を働く、せがむ、責め立てる」とあまり良いことばではありませんが、こと詩篇138篇3節に関しては以下のように訳されています。
新改訳 「強くする」
新共同訳 「解き放つ」
口語訳 「増し加える」
フランシスコ会訳 「強める」
バルバロ訳 「雄々しくする」
岩波訳 「増し加える」
関根訳 「増し加える」
2011.7.15