****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps120/A

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瞑想Ps120/A

  • この詩篇のキーワードを最後の二つの節(6, 7節)とします。

    ①「私は、久しく、平和を憎む者とともに住んでいた。 私は平和を-、私が話すと、彼らは戦いを望むのだ。」(新改訳)

    ②「平和を憎む者と共に、わたしの魂が久しくそこに住むとは。平和こそ、私は語るのに、彼らはただ、戦いを語る。」(新共同訳)

    ③「わがたましいは平安(やすき)をにくむものと偕にすめり、われは平安(やすき)をねがふ、されど我ものいふときにかれら戦争をこのむ。」(文語訳)

  • 「都上りの歌」の最初の歌は、異教の地において、平和を憎む者、戦いを望む者たちとの間に久しく住まざるを得なかった現実の中で、「平和に対する渇望」、あるいは「平和への希求」が生まれて来たことをうかがわせます。ここで言う「平和」とは、単なる争いのない状態としての平和ではなく、シャーロームとしての平和が渇望されています。シャーロームとは神によって祝福された現実を意味します()。そのシャーロームが喪失している現実の中に生きる自分に対して、作者は「ああ、哀れな私よ。メシェクに寄留し、ケダルで暮らすとは。」と嘆いているのです。
  • 神の家の回復事業、神の家の再建の事業、すなわちリバイバルへの期待は、今、自分が置かれている現実を嘆き悲しみ、本来、自分たちに与えられるべき神のシャーロームに対する渇望からはじまります。従って、「平和」は「都上りの歌」における重要なキー・ワードの一つと言えます。

1. 聖書における「平和

  • 「平和」と訳されたシャーロームは、聖書の中で福音の理解に欠くことのできない重要な位置を占めています。聖書によれば、神は「平和の神」であり、イエスは「平和の主」であり、聖霊は「平和の霊」と言われます。また、神を信じて神の子とされた者たちは「平和をつくる者」(マタイ5:9)と呼ばれ、福音は「平和の福音」と呼ばれます。使徒パウロはとりなしの祈りの中で、「どうか、平和の神が、あなたがたすべてと共にいてくださいますように。」(ローマ15:33)、「どうか、平和の主ご自身が、どんなばあいにも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように」(Ⅱテサロニケ3:16)と祈っています。
  • ギリシア的な平和は、主として、心理的・霊的な調和、あるいは心の中の静けさ、休息的状態、争いのない平穏な感情を意味するのに対して、ヘブル的平和(シャーローム)は神と人との間にある健全な関係があるときにもたらされる霊的・物質的な両面を含んだ、社会共同体的概念です。「聖霊による共同体」の中で、神と人、人と人の交わりが回復されること、これがシャーロームの本質です。特に、旧約の預言者たちは、「平和」は社会的な関係の中に正義を作り出すことと深いかかわりをもっていることを語りました。新約のイエスも、ペテロも、そしてパウロも、みなへブル的なシャロームの意味において、「平和」ということばを用いていたことを忘れてはならないと思います。

2. 神の「平和」と新しい共同体

  • 新しい神の平和の共同体とはいかなるものであるか、その特徴が新約聖書の中に記されています。

    ①エペソ人への手紙2章11~22節

    • 神の作り出す平和の共同体とは、人間同士を分け隔てているあらゆる区別や障害が取り除かれて、霊的また物質的なものを含むあらゆる面において、兄弟たちとすべてを分かち合う共同体です。ユダヤ人と異邦人は共同の相続人となること、そこには「新しいひとりの人」を建て上げるヴィジョンがあります。パウロの書いたエペソ人への手紙によれば、神の救いの計画は「すべてのものがキリストにあって一つにされること」であり、そこに平和が実現されることです。

    ②使徒の働き4章32節

    • 人々が平和の福音を聞いて、それに従う時、聖霊は互いに愛し合い、心を開き合う新しい共同体を作ってくださるその証をルカは記しています。「信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張するものがなく、いっさいの物を共有にしていた」
  • 驚くべきことに、初代教会はだれひとりとして持ち物を自分のものだと主張するものがなかったということです。むしろ、共通の益のためにすべての者が協力し、分かち合う共同体であったという事実です。

3. 平和へのあこがれ

  • ピース・メーカーは神の子どものしるしです。マザー・テレサの愛した祈りに、聖アッシジのフランシスコの祈りがあります。それを紹介したいと思います。

    私は、平和をつくる神さまの道具となりたいのです。
    憎しみのあるところに愛を
    罪のあるところに赦しを
    争いのあるところに一致を
    誤りのあるところに真理を
    疑いのあるところに信仰を
    絶望のあるところに希望を
    やみのあるところに光を
    悲しみのあるところには喜びを
    慰められるよりも慰めることを
    理解されるよりも理解することを
    愛されるよりは 愛することを



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ヘブル語の「シャーローム」の本来の意味は、単に、争いのない、平和な状態を表わすだけでなく、力と生命に溢れた動的な状態をいいます。シャロームが意味するものは、以下にあげるようにきわめて豊かです。

(1) 平和 (対国、対神、対人) ・・・和平、和解
(2) 平安 (個人的)・・・平穏、無事、安心、安全
(3) 繁栄 (商業的)
(4) 健康 (肉体的、精神的) ・・・健全、成熟
(5) 充足 (生命的) ・・・満足、生きる意欲
(6) 知恵 (学問的) ・・・悟り、霊的開眼
(7) 救い (宗教的) ・・・暗闇から愛の支配へ
(8) 勝利 (究極的) ・・・罪と世に対する勝利



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