****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps111/A

Ⅴ/A(107~150篇) | テキストPs111 | 原典テキストPs111 | 瞑想Ps111/B | 瞑想Ps111/C | 礼拝用語Ps111 | 恩寵用語Ps111 | その他

瞑想Ps111/A

  • 詩111篇から1節の「ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。」というフレーズを取り上げ、特に、「心を尽くして」ということばにフォーカスしたいと思います。「心を尽くす」ということばは、詩篇の中でわずか10回しか出て来ません。しかもその多くは119篇の6回です。「心を尽くす」という思いや態度は、義務や強制で生まれるものではありません。これは自意です。自発的な思いです。しかも、このことばは軽々しく扱われるものではないと信じます。LB訳では「心の奥底から」と訳されていますが、表面的なその場限りことばではなく、その人の心の内にある最も深いところから発せられることばでなければなりません。
  • 「心を尽くして主に感謝しよう。」
    I will praise the Lord with my whole heart.  
    英語の praise は「賛美する」という意味でもあり、心を尽くして主に感謝しよう、心の奥底から主を賛美しようというという誓いこそ、神に喜ばれ、受け入られるものです。
  • 主に贖われた(救われた)者たちのライフスタイルとは、いつでも、どこでも、いかなる状況の中でも、「心を尽くして」 I will praise つまり、「主に感謝すること」、「主を賛美すること」です。私たちの主に対する礼拝のささげものは「主への感謝と賛美」です。このささげものを持たずに、不用意に主の前に出ることは礼拝とは言えません。
  • 使徒パウロが書いたコロサイ人への手紙には、「感謝」ということばがたくさん出てきます。
    ①「私たちは、いつもあなたがたのために祈り、・・神に感謝しています。」(1章3節)
    ②「感謝の心を持つ人になりなさい。」(3章15節)
    ③「・・・感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(3章16節)
    ④「あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、・・父なる神に感謝しなさい。」(3章17節)
    ⑤「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」
  • ここでパウロが述べようとしていることをまとめてみると、「感謝の心とをもって、感謝にあふれて神を賛美し、また感謝をもって祈り、またとりなしなさい。することなすことすべてイエスの名によってなし、父なる神に感謝しなさい。」ということです。
  • 不平不満やつぶやきではなく、いつも神に感謝をしている人は、心が健康であり、スマイルが絶えません。それは人をいやす力あるだけでなく、あらゆる状況を肯定的に受止める心をつくります。「すべてを感謝する」というライフスタイルは、一朝一夕にして作られるものではありません。日々の主との交わりの中で、「主は常に良いお方であり、いつも最善のことをしてくださる」という信仰によって作られます。常識的に、あるいは感情的に感謝できないことがあります。それであっても、信仰によって(感情によってではなく)「主よ、感謝します。」と言い切ってしまうことです。これが「心を尽くして」という意味だと私は信じます。
  • クリスチャン作家の三浦綾子氏は晩年、「私には死ぬという仕事がある」と言っていましたが、私が思うに、その仕事とは「自分がお世話になった一人ひとりに、また、自分の人生に起こったあらゆることにおいてー良きも悪しきもー神に感謝するということ」だと思います。自らの人生を有終の美で飾るためには、「感謝する」ということが不可欠なのだと信じます。
  • 私も、私に降りかかるさまざまな出来事や経験において、心を尽くして、主に感謝しつづける生涯を歩みたいと願います。そして、主こそすばらしい方、最高のお方であることを告白したいのです。「心を尽くして」。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional