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瞑想Ps109/A

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瞑想Ps109/A

  • この詩篇はめずらしい詩篇です。というのも、敵に対する呪いと刑罰を求める祈りだからです。特に、6節から20節まではそうです。「ゆえもなく」、つまりこれといった正当な理由もなく、善に変えて悪を、愛に変えて憎しみを自分に報いようとする者たちが存在する。ただ祈るしかできない。神もじっと沈黙しておられる。このような現実の中で、作者は自分で復讐することなく、神のさばきに身をゆだねて神に助けを求めて祈っています
  • この詩篇のポイントは、作者を通して、神が生きておられることが明らかにされるという確信による<祈りの昇華>が見られることです。その昇華は、弁護者としての主の存在への気づき(31節)です。そこでは「主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われる」からだ、と告白しています。
  • この詩篇のポイントを明確にしている新約版があります。それはローマ人への手紙は8章30~39節です。そこでは、
    ①神に選ばれた者を訴えるものはだれか。
    ⇒神が義と認めてくださるのだ !
    ②罪に定めようとするのはだれか。
    ⇒私のために死に、よみがえってくださったキリスト・イエスが神の右に着き、とりなしてくださるのだ !
    ③キリストの愛から引き離すのはだれか。患難か、苦しみか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か・・
    ⇒これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利となるのだ。何ものも、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのだ !
  • イエスの弟子たちの、イエスの十字架と復活の「以前」にはこのような確信はありませんでしたが、「以後」ではこの確信に満ち溢れているのです。これはひとえに助け主なる聖霊によるものです。 

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