****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想日記をつけること

4. 瞑想日記をつける

  • 教会でのサムエル・ミニストリーで行なっている詩篇の瞑想では、賛美の後に詩篇を朗読し、10~15分ほど(長い時で20~30分)、集中してみことばを瞑想します。この時間は個人でする場合にはもっと長くすることができますが、共同でする場合には、この時間くらいが限度でしょう。各自が瞑想した後で、それぞれ自分に主が語ってくださったこと、感動したみことば、考えさせられたことなどを話し、分かち合いをします。ところが、時折、そうした分かち合いをする中で、自分自身が驚き感動するようなことばがしばしば口から出てくることがあって、それをなんらかの形でノートしておく必要を感じていました。そのひとつの方法として、自分の語ることをテープに録音して、あとでテープを聞き直して記録しようかと考えましたが、その方法はやめました。理由は、その方法では昼も夜も一日中、継続してみことばを思い巡らすことができないからです。そこで今は、皆と分かち合う前に、その日の詩篇を、あらかじめ、自分だけでじっくりと時間をかけて瞑想し、それを日記としてまとめてしまう方法をとっています。それから、共に集まって、主を賛美し、さらに同じ詩篇から「新たな啓示」が与えられるようにと祈りながら、主を待ち望むことをしています。
  • 日々、自分なりの「瞑想日記」を書くことで、自分の心にみことばを刻み込み、神を味わえるように工夫しています。しかしこれはあくまでも私の方法です。ひとりひとりがそれぞれ自分にあったスタイルで詩篇の瞑想を楽しむことが必要です。そうでないと長く続けることはできないと思います。
  • 私の場合、詩篇瞑想は、一見、まとまった説教のような原稿になります。それはその日の私の瞑想の実でもあり、また黙想の準備でもあるのです。長年、教会で説教をしているせいか、このような形式が、私にとって一番自然なかたちなのです。しかし、あくまでも自分と神様との交わりの「日記」なのです。

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