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王宮の廃墟とメシヤ出現の約束

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25. 王宮の廃墟とメシア出現の約束

【聖書箇所】 22章1節~23章8節

ベレーシート

画像の説明

  • 今回の聖書箇所の中に特徴的なフレーズが3回登場します。それは「公義と正義」というフレーズで、とても重要なフレーズです。この「公義と正義」を巡って、これを行なわなかった王家の宮殿は廃墟となり、さらに主がやがてそれを実現するメシアの出現の約束をしています。したがって、「公義と正義」(「ミシュパート」מִשְׁפָּטと「ツェダーカー」צְדָקָה)が意味するところを正しく理解する必要があります。
  • 「公義と正義」がワンセットになったフレーズは、旧約聖書の中で(新約聖書にはありません)、14回使われています。しかもエレミヤ書とエゼキエル書にしか出てきません。
    (1) エレミヤ書では6回(4:2/9:24/22:3, 15/23:5/33:15)
    (2) エゼキエル書では8回(18:5, 19, 21, 27/33:14, 16, 19/45:9)
  • 「公義」(口語訳は「公平」、新共同訳は「正義」、関根訳は「公正」、NKJV訳はjudgment)と訳される「ミシュパート」מִשְׁפָּטは、神の統治・支配の総称です。それは人間に自由意思を与え、神への信仰と従順を求めることによって成り立つ統治理念を意味します。そこには数々の神のはからいや計画、導き、時には父性的な懲罰的訓練をも含みます。
  • 一方の「正義」(口語訳も「正義」、新共同訳は「恵みの業」、関根訳「義」、NKJV訳はrighteousness)と訳される「ツェダーカー」צְדָקָהは、神との正しいかかわりを意味するものですが、その内容は自分自身では自らの権利を確保できない貧しい人々を擁護し助けることを意味します。「貧しい者にあわれみを示すこと」、これが「ツェダーカー」の意味するところです。つまり、「他人のために犠牲を払うこと」と、「施しをすること」を意味し、それがやがて「救い」をも意味するようになります。
  • イエスは山上の説教の中で「もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるのでないなら、あなたがたは決して天の御国には入れません。」(マタイ5:20)と語られましたが、そこにある「義」は「ツェダーカー」が意味していることです。旧約の最後の王たちは「正義」を行なわなかったことで断罪されています。
  • 「公義と正義」(ミシュパートとツェダーカー)には、常に密接な関係があり、もっと深い意味がそこに隠されていると思います。

1. 「公義と正義」に対するユダの王たち 

  • ところで、ユダの最後の王たちはこの「公義と正義」に対してどう対処したのでしょうか。

(1) ヨシヤ王の場合

  • エホヤキムに対する糾弾の中に、彼の父ヨシヤについての評価が記されています。22章15節「あなたの父は飲み食いしたが、公義と正義を行なったではないか。そのとき彼は幸福であった。彼はしいたげられた人、貧しい人の訴えをさばき、そのとき、彼は幸福であった。それがわたしを知ることではなかったか。」

(2) エホヤキム王の場合

  • 「しかし、あなたの目と心とは、自分の利得だけに向けられ、罪のない者の血を流し、しいたげと暴虐を行なうだけだ。」(22:17)
    具体的には、「不義によって自分の家を建て、不正によって自分の高殿を建てる者、隣人をただで働かせて報酬も払わず」とあります。自分の利益しか考えず、全くの自己中心の王であったことが糾弾されています。他者のために神の代理者として犠牲を払うことなど考えもしなかったエホヤキムに対して、その生涯の終わりの悲惨さが預言されています。

(3) エホヤハズ(シャルム)王とエホヤキン(エコヌヤ)王の場合

  • この二人の王はいずれも3ヶ月という短い治世でした。エホヤハズはエジプトの王パロ・ネコによって北方に幽閉され、やがてはエジプトに連れて行かれ、そこで死にました。エホヤキンはバビロンの王ネブカデレザルがエルサレムを包囲したことで、投降し、母親や子どもたちともにバビロンへと連れて行かれ、二度とエルサレムに帰還することはありませんでした。エホヤキンに対して主は「この人を『子を残さず、一生栄えない男。』と記録せよ。彼の子孫のうち一人も、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ。」とあります(22:30)。確かに、捕囚から解放された後も、彼の子孫から再びユダを治める王は起こりませんでした。エレミヤは王宮の廃墟を宣言しましたが、彼の子シャアルティエルの子ゼルバベルが王家の血筋として残り、捕囚から解放されたときにエルサレムに帰還します。そして、やがてその血筋からメシア、イエス・キリストが生まれるのです。

(4) ゼデキヤ王

  • ユダ王国最後の王となったゼデキヤの子どもたちは、彼が見ている前で処刑され、彼自身も目をえぐり取られてバビロンへと捕囚されます。したがってゼデキヤの子孫は断絶しています。

2. ダビデの家から一つの若枝を起こすとの約束

  • 23章5~6節にある預言はとても重要です。

【新改訳改訂第3版】 エレミヤ書23章5~8節

5 見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行う。
6 その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。その王の名は、『【主】は私たちの正義』と呼ばれよう。
7 それゆえ、見よ、このような日が来る。──【主】の御告げ──その日には、彼らは、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた【主】は生きておられる』とはもう言わないで、
8 『イスラエルの家のすえを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた【主】は生きておられる』と言って、自分たちの土地に住むようになる。」

  • 「わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行う。」とありますが、ここにある「若枝」(「ツェマハ」צֶמַח)はメシアの象徴です。イエス・キリストのことを意味しています。この方の到来によって、ユダの国ははじめて公義と正義が行われると預言されているのです。
  • ちなみに、この「ツェマハ」は旧約で12回使われています。生えているもの、萌え出るもの、芽生えるもの、枝、若枝、芽を意味します。12回の引照箇所は次の通りです。
    創19:25、詩65:11、イザヤ4:2/61:11、エレ23:5/33:15、エゼキ16:7/17:9, 10、ホセ8:7、ゼカリヤ3:8/6:12。
  • 特に8節の「 『イスラエルの家のすえを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた【主】は生きておられる』と言って、自分たちの土地に住むようになる。」という預言は、全イスラエルの回復を意味しています。この回復はキリストの再臨を待たなければなりませんが、着実にその方向に向かって歴史は進んでいるのです。

2013.2.27


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