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王という権威に弱かったヨアシュ王

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48. 王という権威に弱かったヨアシュ王

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 24章1節~21節

ベレーシート

  • 私たちを惑わして人生を失敗へと誘惑するものとして、お金、性(sex)、権力であったりします。人によってお金や性に対して強くても、権力に弱い人がいます。権力への執着がなくても、お金に弱かったり、性に対して弱かったりと、人によってそれぞれです。
  • 今回のⅡ歴代誌23章に登場するヨアシュ王は、一見して、彼をサポートしてきた祭司エホヤダが死ぬ前と死んだ後ではまるで違う人物のように見えます。しかし、彼は本質的に同じ問題を抱えていた人物であり、それがエホヤダの死によって、それまである程度隠されていた脆弱な部分がむき出しになっただけのことです。ヨアシュは本来、権威に弱い人物であり、それによって自分を滅びに招いた気の毒な王として描かれています。

1. 主の宮を修復することを志したヨアシュ

  • 7歳で王となったヨアシュですが、王としての役割は実際的には祭司のエホヤダが負っていたと言えます。ヨアシュはダビデのように王となるため厳しい訓練を受けた人物ではありません。エホヤダの庇護の下で王としての立場を与えられていただけです。その力を発動したことのなかった彼は、結婚して子どもたちが与えられるようになった頃、主の宮を新しくすることを志したとあります。新共同訳では「意欲を示した」と訳されています。果たしてその志が神を愛することから出た純粋な志し(意欲)であったのか、祭司やレビ人たちは疑念を抱いようです。
  • ヨアシュは、ここで祭司のエホヤダと話し合いをすることなく、突然、王としての立場から、祭司とレビ人たちに対して主の宮の修復のために必要な資金を全イスラエルからお金を集めるように命じました。そのときヨアシュは「あなたがたは急いでそのことをしなければならない」と付け加えたのです。それに対して、「レビ人は急がなかった」とあります。その理由は記されていませんが、王の言葉に隠されている不純な動機を悟ったからではないかと思われます。
  • 「なぜ、急いでそのことをしなければならないのか」。一見、王の熱心さとも受け取れる言葉の中に、彼を長い間見つめてきたレビ人は、王の命令を素直に受けとめられないものを感じていたのかも知れません。ただ、神殿のための財源として、主が定められた法がありました。それはモーセの時代の幕屋のために、イスラエルの20歳以上の男子ひとり一人に対して、一律、半シェケルが課金されました。これがⅡ歴代誌では「税」(「マスエーット」מַשְׁאֵת)と訳されていますが、この語彙の語源は「ナーサー」(נָשָׂא)で「税、ささげ物、贈り物」を意味します。今日の教会の信者がささげる献金の意味に近いかもしれません。主に贖われ者が主との礼拝をする場を保持するための規定献金です。ヨアシュはそれを礼拝する者たちに求めたのです。このこと自体はなんら問題ありません。
  • ところが、レビ人たちはそれは王としての力、その権威の力を試そうとする意図として受けとめられたのかもしれません。案の定、レビ人が急がなかったことに対して、祭司のエホヤダを呼び、「あなたはレビ人に要求して・・・のことをさせないのか」と迫っています。このヨアシュの発言の中にこれまでの指揮系統が微妙に変えられていくのを見ます。つまり、祭司階級と王の権威との微妙な力関係を覆そうという意図が見られます。
  • 主の宮を新しくするという王の志はある意味で成功したと言えます。そして王としての面子もある意味で保つことができました。しかしそれは「エホヤダが生きている間は」でした。王のしたことは、言わば、みせかけであり、本当にヨアシュが神を愛していることから出たものではないことが、「エホヤダが死んで後」に明らかとなります。

2. ユダのつかさたちから神格化されたヨアシュ王

  • もともと権力に弱い者がおだてられる時、その人の脆弱性がもろに現われます。ヨアシュがその良い例です。17節を見て見ましょう。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代誌 24章17節
エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。


(1) ユダの高官たちから持ち上げられた神として礼拝される

●「伏し拝んだ」という動詞には「ハーヴァー」(חָוָה)が使われています(脚注)。この動詞は本来「ひれ伏す、かがむ」という意味ですが、これが強意形のヒットパエル態で用いられると、「伏し拝む」という礼拝行為の意味になります。つまりここでヨアシュは、ユダのつかさ高官たちによって神格化されたのです。このことで彼は自分をそのように扱ってくれる者たちに依存するようになります。ですから「それで、王は彼らの言うことを聞き入れた」とあります(17節)。このことがもたらした結果は、主の宮を捨てて、偶像に仕えることでした。そもそも偶像に仕えるとは、自分の欲望を無限に肯定してくれる神に仕えるということですから、神の祝福を得られるどころか、神を怒らせることになります。

(2) 祭司階級との力のバランスを失い、王権が独り歩きをする

●ユダの高官たちが自分の側についたことを良いことに、これまでの祭司階級と王の力関係が完全に壊れる結果をもたらした。そのため、神は彼らを立ち帰らせようと、預言者を遣わして彼らを戒めましたが、ヨアシュは全く耳を貸さなくなりました。また、神の霊に捕えられて預言した祭司エリヤダの子ゼカリヤを、王の命令により、石で打ち殺すということが起こりました。

(3) アラムの軍隊が押し寄せたとき、王の実質的無力さが露呈された

●王としての実質的な資質を磨くことなく、ただ権力という媚薬に惑わされたヨアシュは外敵との戦いにおいては何の力もありませんでした。ここに神の代理者であるというイスラエルの王制の理念を知らずして王となった悲劇があります。彼は自分の家来によって暗殺されました。しかも、王たちの墓には葬られなかったとあります。これは彼の祖父ヨラムと同様、まったく人々から愛されることがなかったことを示しています。



脚注

「ハーヴァー」(חָוָה)はヘブル語辞典やコンコルダンスで調べても出て来ない特殊な動詞です。「シャーハー」(שָׁחָה)が本来の基本形です。前者はアラム語動詞だからです。

2014.4.5


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