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海に投げ込まれたヨナ

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3. 海に投げ込まれたヨナ

ベレーシート

  • 使徒パウロが、イスラエルに対する神の召命と賜物は決して変わらないということと、そのイスラエルと異邦人とのかかわりの奥義(接ぎ木の思想)を記した箇所(ローマ人への手紙、特に11章)の最後に、以下のような言葉があります。

    【新改訳改訂第3版】ロ―マ人への手紙11章30~36節
    30 ちょうどあなたがた(ローマの教会の人々=異邦人)が、かつては神に不従順であったが、今は、彼ら(イスラエル=ユダヤ人)の不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、
    31 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。
    32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。
    33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
    34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
    35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
    36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

  • この箇所には、神のご計画(マスタープラン)とその中で語られた数々のことば(約束、誓い、警告など)は決して変わることがなく、必ず実現するということが宣言され、その神がたたえられています。
  • たとえ人が神に対してどんなに逆らって敵対したとしても、また神の御顔を避けてどんなに遠くへ逃げたとしても、また、どんなに無関心であったとしても、それらにかかわりなく、神のご計画は必ず実現するのです。そのことが、「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。」と表現されています。
  • ヨナ書1章の第三回目の瞑想は、主の御顔を避けて遠くへ逃れようとしたヨナによって、はからずも、異邦人がヘブル人の神を知り、主を恐れるようになったという事実です。つまり、異邦人がヘブル人の神を礼拝するようになったのです。これは神の奇蹟の一つではないでしょうか。

1. 海が荒れている原因がヨナにあることを知った乗組員

  • タルシシュの船の船長も水夫たちも、ヨナが「主の御顔を避けてのがれようとしていることを知っていた。」(1:10)とあります。ヨナがそのことを先に彼らに告げていたからです。なぜ、こんなことをヨナは告げたのでしょう。これはひとつの謎です。ヨナがそのようなことを言ったのは、事の深刻さを理解する者はだれもいないことを知って、いわばヨナが冗談めいて言ったのではと推測します。まさかこのことで、暴風が引き起こされ、海が荒れて船が難破しそうになるとは、ヨナも予想だにしなかったと思います。ところが、主は大風を海に投げつけたのです。

2. あらゆる手立てをつくして、危機を回避しようとする人々

  • 激しい暴風のために船が難破しそうになったことで、当然、船長を始めとした乗組員の水夫たちはあらゆる手を尽くして危機を回避しようと努めました。まずはそれを見てみましょう。

(1) それぞれが自分の神に向かって叫んだ。
(2) 船を軽くしようとして船の積荷を海に投げ捨てた。
(3) 誰のせいでわざわいが降りかかったのかを知ろうとした。
(4) 誰のせいかを知るためにくじを引くと、くじはヨナに当たった。
(5) わざわいの原因がヨナにあることを知って、人々は恐れた。
(6) 海を静めるために、ヨナの処遇をどうすれば良いかをヨナに尋ねた。
(7) ヨナは「私を捕らえて、海に投げ込めば、海は静まる」と教えた。
(8) 船を陸に戻そうと手を尽くすが、海はますます荒れるばかりだった。
(9) 人々はヘブルの神に嘆願して祈った。
(10)ヨナを海に投げ込んだ。すると海は静かになった。

  • 上記を見ると、船の乗組員があらゆる方法で危機を回避しようと必死になっていることが分かります。彼らが最初にしたことは、自分たちがそれぞれ信じている神に祈ったことです。しかし事態はますます悪くなるばかりで、彼らの信じている神には力がないことが明らかにされます。そこでわざわいをもたらしているヘブル人と名乗るヨナの神がこの事態をもたらしていることを知り、ヨナ自身から自分を海に投げ込めば海は静まると聞かされます。彼らはヘブル人の神に祈り、そしてヨナを海に投げ込んだのです。するとヨナが言うとおりに、海は静かになったのです。そこで人々は非常に主を恐れたのです。「主を恐れる」とは、「主を信じる」と同義です。
  • ヨナが主の御顔を避けて逃れようとした行動が、はからずも、異邦人である人々に主を信じさせる結果をもたらしたのです。ここに人には知り尽くしがたい神のさばき(ご支配)が隠されています。
  • ユダヤ人は神が遣わされたメシアなるイェシュアを十字架にかけて殺してしまいました。しかし神はこの方を死からよみがえらせました。ユダヤ人の犯した「違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それはイスラエルにねたみを起こさせるためです。」(ローマ11:11)。この神のご計画の予型がヨナ書の第一章に、すでに示されていると言えないでしょうか。

ああ、神の知恵と知識との富は、
何と底知れず深いことでしょう。
そのさばきは、何と知り尽くしがたく、
その道は、何と測り知りがたいことでしょう。


2015.5.13


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