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永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した

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32. 永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した

【聖書箇所】 エレミヤ書31章3節

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【読み】
ヴェアハヴァト オーラーム アハヴティーフ アル ケーン メシャフィーフ ハー

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。
【口語訳】
わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに/真実をつくしてきた。
【新共同訳】
わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し/変わることなく慈しみを注ぐ。
【NKJV】
Yes, I have loved you with an everlasting love; Therefore with lovingkindness I have drawn you.

【瞑想】

エレミヤ31:3のフレーズには神の愛を表わす語彙があります。一つは「愛」と訳される「アハヴァー」という名詞とその動詞「アーハヴ」。そして不変の愛を表わす名詞「ヘセド」です。

「ヘセド」は契約的な愛を意味しますが、それを成立させている根源的な愛、先取的(イニシュアティヴ)な愛、神の一方方向の無条件的な選びの愛が「アハヴァー」אַהֲבָהであり、動詞の「アーハヴ」אָהַבです。

詩篇119篇97節に「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。」とあります。「愛する」という動詞「アーハヴ」 אָהַבは、本来的には神が人を愛する無条件の愛です。しかし、その神の愛に触れられた者が神を愛するときにも、この「アーハヴ」という動詞が使われています。詩篇の中では詩119篇に多く見られます。おそらく、作者がハビロンの捕囚の地において神のトーラーに目が開かれ、神の愛の深さにふれたからです。そして作者は、神とその教えを愛する者となりました。ところで、神の教えを愛するとはどういうことか。97節~104節の段落においてそれを伺い知ることができます。それによれば、

第一に、「主のみおしえを愛するとは、一日中、それを自分の思いとするということ」です。「一日中」とは、「絶え間なく」(新共同訳)、「終日」(関根訳)、「ひねもす」(岩波訳)ということです。私の「思い」とは、「思い巡らす」ことであり、瞑想することです。つまり、一日中、主から与えられた教えを思い巡らすこと、これが主を愛することです。ある時間だけ思い、そのあとはすっかり頭から消えているとしたら、愛しているとは言えません。作者は自分が主を愛しているそのあかし(内証)として継続的な思い巡らしをあげています。

第二に、「主のみおしえを愛するとは、その結果として知恵が与えられること」を意味します。作者は「敵よりも」「すべての師よりも」「老人よりも」、賢く、悟りがあり、わきまえ(分別)があると述べています。一見、傲慢に聞こえますが、主の教えに身も心も満たすことによって、自分の生き方に自信をもって生きることができます。愛は人に自信を与え、秀だせる力を与えます。なぜなら、愛は人を生かすからです。

第三は、「主のみおしえを愛するとは、優先すべきことを明確に選択するということ」です。作者は主のおしえを愛するゆえに、偽りの道をことごとく憎むと言っています。イエスは「神も富も、同時に愛することはできない」と言われました。愛するとは、大切なことがらを選び取らせ、そうでないものをはっきりと退けさせるのです。

エレミヤ書31章3節の神の語りかけは、神に選ばれた「乙女イスラエル」(全イスラエル)に対して語られたものです。この時にはすでに北イスラエルはすでに消滅し、離散し、どこにいるかさえ分からない時代です。にもかかわらず、彼らを地の果てから再びシオンに集めるというのです。それはまだ完全には成就していません。しかし神が真実な方であるならば、必ずそうなります。なんと驚くべき神の永遠の愛「アハヴァー」、そして誠実「ヘセド」でしょうか。

2013.3.18


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