****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

新約の光から見直すこと

11.  新約の光から見直すこと

  • 詩篇は、神との親しい関係、人との親しい関係を築いていく上で最良のテキストです。しかし、詩篇は(詩篇に限らず旧約聖書のすべてがそうですが)、新約の光、すなわち、イエス・キリストの事実(特に、十字架と復活の出来事)から見直されなければ正しく理解することができませんし、神と人とのあるべき正しい関係を築いていくことは不可能です。私たちは御父のふところにおられた御子イエス・キリストと御霊の助けを通して、はじめてそれが実現できるのです。
  • たとえば、主がイスラエルの王として賛美されている詩篇(47篇、93~99篇など)は特にそうです。
  • 詩篇には、主をイスラエルの、あるいは全世界の王としてたたえているものがあります。そのような詩篇は、新約の光から見直すと良く理解できます。なぜなら、ナザレのイエスの宣教の第一声である「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)の宣言が意味しているテーマは「神の国」だからです。この「神の国」とその到来こそ、イエスの使命の中心点でした。
  • 神の国(天の御国)とは、英語ではキングダム(Kingdom)です。 神の国とは、神の主権、神の支配、神の統治、神の権威のことです。イエスが語られたたとえ話のすべては、この神の国についてのものであり、神の国がどういうものであるか、どうすればそこに入ることができるか、そしてそこに入るための決断をうながすものでした。 たとえば、有名な「神の国とその義とをまず求めなさい」ともあります。ここでいう神の義とは、神の主権、神の支配、神の統治を自らの生活においてまず求めるということです。
  • また、主の祈りの中に「御国が来ますように。みこころが天になるごとく、地にもなさせたまえ」とあります。この祈りが意味するところは、神がこの世を治め、神が王としての主権と御力(権力)を現わし、神の聖なる支配と義に対するすべての敵を追い払い、神のみが全世界の王となってくださるようにという願いなのです。
  • イエス・キリストが述べ伝えた「神の国」は、基本的には「神の支配」です。神の統治、つまり実際に活動している神の主権性です。しかしなから、神の統治はいくつかの領域があって、未来に現わされる領域、と現在に現わされている領域があります。前者は、やがてキリストの再臨によって実現する領域であり、後者は、イエスの初臨においてじつげんしている領域です。神の国の福音はその二つの領域にまたがっています。旧約における神の支配では二つの領域が入り混じって描かれています。
  • 主イエスが語った神の国のたとえ話において、その「神の国の奥義」をさまざまな面から描いているように、「主を王として賛美する」詩篇も、統治者である王がいかなる方であるのか、あるいは、その王が治める国とはどのような国かを描いているのです。
  • このように、詩篇を瞑想するときには、たえず新約の光に照らしながら行なう訓練が大切です。そうすることで、私たちは、一人よがりな、律法主義的な、自己義認に傾く思いから守られると信じます。聖霊様の助けが絶えず与えられるように祈りながら、瞑想の旅を楽しんでください。

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