****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

悔い改めなさい。天の御国が近づいたから

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補遺2. 悔い改めなさい。天の御国が近づいたから

【聖書箇所】マタイの福音書4章17節

ベレーシート 

【新改訳2017】マタイの福音書4章17節
この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。

  • 上記のみことばは、イェシュアの公生涯に入られた時のことばです。これほど重要なことばは他にありませんが、このことばを正しく理解している者は多くいません。このことばは神のご計画の全貌を表わしていると言っても過言ではありません。これからその意味することを、簡潔に、かつ深く、お話ししてみたいと思います。

1. 「悔い改めなさい」という命令

  • イェシュアが語った最初のメッセージは、「悔い改めなさい」という命令でした。ギリシア語の「悔い改める」は「メタノエオー」(μετανοέω)、ヘブル語は「帰る」「立ち返る」「向き直る」を意味する「シューヴ」(שׁוּב)です。どこに向かって帰るのか、立ち返るのかといえば、神に向かってです。そこには、罪を悔いるとか、懺悔してとかといった条件は一切ありません。ただただ神に「向き直る」ことが求められています。「悔い改めなさい」のギリシア語は現在命令形です。これは一回的な自覚的な堅い決心ではなく、何度も何度も繰り返して、神に立ち返ること、神の方向に向き直ることを意味しています。
  • 神に立ち返ること、神の方向に向き直るということ。簡単なことのように見えて、実は奇蹟的なことなのです。なぜなら、人は生まれながらにして神とは正反対の歩みをし、自分勝手な道を歩んでいるからです。

【新改訳2017】イザヤ書53章6節
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。

① 「私たちはみな」とあります。私たちはだれ一人、例外なくという意味です。自分はみんなとは違うと思っていても、神の目から見れば例外はないのです。

② それは、私たちが「羊のようにさまよい」とたとえられていることにおいて、例外がないのです。羊は目が悪いために羊飼いを必要とします。ですから、羊飼いから離れた羊に待ち受けているのは死です。聖書は人間をそのように描いています。

③ 羊のように「自分勝手な道に歩む」ことが、聖書で「罪」と言われるものです。この「罪」の力には人間のどんな努力をもってしても勝てません。ですから、自分の数々の罪を後悔したところで、堅い決心をしたところで、「自分勝手な道に歩む」傾向から勝利することはできないのです。そこで神が求められることは、あなたが罪を悔いてではなく、ありのままで、神に立ち返る、神の方向に向き直ることなのです。「自分勝手な道に歩む」のは人間の生まれながらの習性ですが、その先にあるのは「死」です。私たちの努力で死の定めを変えることはできず、「いのち」はありません。「いのち」を得るためのただ一つの道は神に立ち返ること、たとえ「自分勝手な道に歩む」傾向が自分のうちにあったとしても、そのままで、ありのままで、神の方向に向きを変えること、それこそがすなわち「悔い改める」ことなのです。決して、「自分勝手な道に歩む」傾向を直してから、神に顔を向けようとは思わないでください。神に向きを変えることによって、神があなたのうちにすべてをなしてくださるからです。

  • 神が私たちに求めておられることは、神に向きを変える(立ち返る)ことによって、私たちが神の豊かないのちを得て生きることなのです。これが「悔い改めなさい」という命令が意味していることです。

2. 「天の御国」とは

  • 神に向きを変える(立ち返る)ことによって、なぜ私たちが神の豊かないのちを得て生きることができるのか。それは「天の御国が近づいたから」です。ここで「天の御国」とは何かを説明したいと思いますが、それは簡単に言えば、「神が支配される王国の民となる」ことですが、このことを理解するのは容易なことではありません。イェシュアがローマ総督ピラトから「あなたは何をしたのか」と問われた時、「わたしの国はこの世のものではありません。」と答え、わたしの国の「真理をあかしするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います」(ヨハネ19:37)と答えられました。イェシュアの行動のすべては「天の御国の真理をあかしする」ためでした。そのことのためにだけ語り、多くのたとえ話をされ、奇蹟をなされたのです。
  • 「天の御国」の「御国」は「バシレイア」(βασιλεία)、ヘブル語は「マルフート」(מַלְכוּת)です。御国とは王(「メレフ」מֶלֶךְ)が支配する国、つまり「メシア王国」のことです。日本の政治形態は民主政治で、国の主権は国民にあります。国民が国の代表を決定します。しかし王国は王が支配します。その王が悪い王であれば国民は搾取されますが、良い王であるならばその国民は王の恩恵にあずかることができます。この世を代表するエジプトやバビロンのような王か、あるいはこの世ではない天の御国の王か、いずれにしても、王は国の強力なリーダーシップを握ります。王としてのイェシュアは愛と恵みに満ちた真実な王です。そのことを私たちは聖書を通して、また御霊の助けによって尋ね求め、そして悟らなければなりません。

3. 天の御国の鍵となる語彙「カーラヴ」

  • 「カーラヴ」(קָרַב)という言葉は、「天の御国」(神の国)を理解する上で、また神のご計画を理解する上でも、非常に重要な語彙です。イェシュアは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と宣教を開始されました。しかし同時に「天の御国はすでにここにある」とも言われました。

【新改訳2017】マタイの福音書 12章28節
しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。
(※並行記事のルカ11章20節では、「神の御霊」は「神の指」となっています。)

  • 天の御国(神の国)が「近づいた」、そして同時に「すでに来ている、あなたがたのただ中にある」という二つの現実をイェシュアは語っていますが、ギリシア語の「近づいた」という言葉には「エンギゾー」(ἐγγίζω)の現在完了形が使われています。ギリシア語の現在完了形とは、過去になされた出来事の結果の状態が現在も続いていることを表わします。つまり、その現在完了形によって「御国」がすでに来ていることを意味しているのです。それゆえイェシュアは、神に「立ち返る」「向き直る」ことをたえず現在命令形で命じているのです。しかしいまだ、イェシュアの再臨までは、天の御国は完全な形では完成していないのです。
  • 「すでに、いまだ」、一体どちらが正しいのかをめぐって神学論争も起きているほどです。しかしヘブル語の「カーラヴ」(קָרַב)は、なんとこの両方の意味を兼ね備えているとても不思議な語彙なのです。
    (1) 動詞「カーラヴ」(קָרַב)・・・「近づいた、(ふたつのものを近づけて)つなぐ」
    (2) 名詞「ケレヴ」(קֶרֶב)・・・・ 「中、内、ただ中」
    (3) 形容詞「カーローヴ」(קָרוֹב)・・「近い」
  • イザヤが女預言者である妻に「近づいた」とき、彼女はみごもったとあります(イザヤ8:3)。そこから、単に距離的に近づいたという意味だけでなく、「~の中」にあるという一体の状態をも意味しています。その意味において、イェシュアは「もう神の国はあなたがたのただ中にある、あなたがたのところに来ている」(マタイ12:28/ルカ17:21)とも語っているのです。「カーラヴ」(קָרַב)は、神のご計画における「いまだ」と「すでに」という時系列の緊張関係を表わすことのできる、まことに不思議な語彙なのです。このような意味を持っている語は他にありません。ヘブル語はまさにイェシュアを通してなされる神のご計画を正しく表現できる、神が選んだ聖なる言語なのです。
  • さらには「カーラヴ」(קָרַב)は、イスラエルの地に全イスラエルが回復するときにも重要な意味を持っています。神はそのことを「二つの杖をつなぎ一本の杖とする」(エゼキエル37:16~17)という預言者の象徴的行為によって現わすように、エゼキエルに命じました。一つの杖は「ユダと、それにつくイスラエルの人々のために」、もう一つの杖は「エフライムの杖、ヨセフと、それにつくイスラエルの全家のために」で、その両方をつないで、エゼキエルの手の中でこれらを一本の杖とするという行為です。ちなみに、ここで「つなぐ」と訳された原語が「カーラヴ」(קָרַב)で、「互いを近づけて」「つなぐ」(joint, together)という意味で使われています。「カーラヴ」(קָרַב)が天の御国の到来をあらわす二つの時系列を表わすだけでなく、神のご計画において「二つの杖をつなぎ一本の杖とする」というイスラエル全家の回復をもたらす行為としても使われています。
  • さらには新約聖書で、神の約束から遠く離れていた異邦人がキリストの血によって「近い」者とされたという場合、「カーラヴ」の形容詞「カーローヴ」(קָרוֹב)が使われています。パウロによれば、ユダヤ人と異邦人、この両者を近づけて御国の「共同相続人」とすることは、福音の奥義なのです。
  • 「カーラヴ」(קָרַב)は、
    ①ユダヤ人と異邦人がつながれて「新しいひとりの人」(教会)となることにも、
    ②枯れた骨であるイスラエルの全家が回復されることにも、
    ③「イスラエル」と「教会」が共に「御国を受け継ぐ」ことにも関係しています。さらには
    ④「天と地」がキリストにあってひとつに結び合わされることにも関係してきます。
    天の御国が完成するときには、①~④が完全な形で実現するのです。このようにヘブル語の「カーラヴ」が、神のご計画全体を余すところなく包み込んでいる驚くべき語彙であることに心に留めたいと思います。イェシュアの語られた宣教の第一声のことば、すなわち「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」ということばは、そのような意味で理解しなければなりません。

2018.8.5


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